オウム信者を「オウム」としか括って語ることのできない言説のうちにはなにも見えてこないんじゃないか。「日本人は」「労働者は」「一般国民は」とかすぐ言いたがる物言い、それらのおおざっぱすぎるイメージからより細分化されたイメージへとつながる思考のない物言いと似たような。 ある総体の心情、なんてものはない。あると思いたいひとが考えてるだけで。そもそも総体の心情、なんて便利なものがあれば民主主義はいらない。あえて無理に想定するのは、都合のいい話をもってこようとするとき。どちらかというと、「そういうものがあると信じてるひとたち」のほうがよほど気味が悪い。それでまた、そういう「総体の心情」を代弁したりするのがまた気味が悪い。でもって、それは論理を情で補強するのに利用されてる。ないものの代弁とはなんだろう。「英霊の心情」などという表現とも通じる。