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warとsocietyに関するume-yのブックマーク (3)

  • 小沢一郎版夷陵之戦: 極東ブログ

    太平洋戦争が終わって12年後、あるいは日の切り離された土側を日と呼び直して主権を回復してからなら5年後の昭和32年に私は生まれた。戦後すぐに生まれた団塊世代からは一巡しているくらいの歳差もあり、私は彼らのように単純な反抗の世代とはならなかった。戦中世代と団塊世代の人たちの少なからぬ人たちは、GHQイデオロギーのままに、私の父の世代にあたる戦争世代の人びとを糾弾した。あなたたちが戦争を起こしたのだ、と。それでも戦争を選んだのだ、と。父の世代は沈黙した。反抗する世代に返す言葉は空しい。幼い私はその沈黙をじっと見ていた。年上の団塊世代も見ていた。そして平和とはなんだろうと考えた。 なにが無謀な戦争に駆り立てたのだろうか? 私は戦争に加わった人びと、あるいは結果的に荷担した人びとの思いも探った。そこで見えてきたものは、英霊であった。死霊である。そんなことをしたら、そんなことを言ったら英霊に申

    ume-y
    ume-y 2010/09/15
    「見えてきたものは、英霊であった。死霊である。そんなことをしたら、そんなことを言ったら英霊に申し訳がない。そういう思いに支配され、呪縛される人びとを見た」
  • 日経社説 安保理はスーダンで動け : NIKKEI NET(日経ネット) - finalventの日記

    現状の日でしかも通常コマ割りの社説で書くとするとこうなるかという簡素なまとめになっていると思う。という意味で悪くない社説なので、それ以上を求めるというのもあまり意味はないのだろうなと思う。 戦争犯罪と人権というのは、歴史にも問われる問題ではあるが、今というこの現在に問われている問題だし、今そうして歴史を刻みつつ、人権という理念へのチャレンジを人類が受けているのだ、が、なかなかそう思う日人は少ないように見える。 率直にいえば国家という幻想が、人権つまり国家幻想をはずした人間という概念を見せづらく保護しているのだ。 近代的な意味での「人間」は終わったし、その意味で、「ポストヒューマン」が問わうることも原理的に可能だが、私はそれは、端的にいえば、欺瞞だと思う。 私たちは人を愛する。理念ではなく、性欲も含めどうしようもない生の根源力として人を愛せずにはいられないものとして存在し、それは人権を求

    日経社説 安保理はスーダンで動け : NIKKEI NET(日経ネット) - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2009/03/09
    「戦争犯罪と人権というのは、歴史にも問われる問題ではあるが、今というこの現在に問われている問題だし、今そうして歴史を刻みつつ、人権という理念へのチャレンジを人類が受けているのだ」
  • 日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記

    熟慮の末の決断だったに違いない。辞任したどこかの大臣ではなく、世界中にファンを持つ作家、村上春樹さんの話である。イスラエルのエルサレムで文学賞の授賞式に臨んだ彼はガザ地区への攻撃を周到に、そして手厳しく批判した。 ▼その講演は体制を高く固い壁に、それにぶつかって壊れる個人の精神を卵にたとえている。「私たちを守るはずの体制が私たちを殺したり、私たちに他人を冷酷に効果的に組織的に殺させたりする」。少しばかり難しい言い回しだが趣旨は明快だ。「壁と卵の間で、私はいつも卵の側に立つ」とも作家は宣言した。 悪いコラムではないし、まあ、ちょっとこういうのもなんだけど、その程度に読まれるのはしかたないなと思うけれど、春樹さんがあのスピーチで言いたかったことは、イスラエル対ハマスではないのですよ。もちろん、今回のイスラエルの対応は非難されるべきであることは普通に国連の動向からしても明白。そしてその明白な批判

    日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2009/02/19
    春樹スピーチ「イスラエル対ハマスという対立の構造を作り出し、そこで正義や悪を問うことに倫理性が絡め取られているときこそ、倫理とは一人の個人を殺害させないということにある。対立の構造はそれを解かない」
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