「自然」という言葉を金科玉条のごとくに振りかざす。 そういう言論に出くわすと、ああまたか、とゲンナリする。それはたとえば、高度な医療行為に対する違和として、高度な科学技術への嫌悪として、生き難い現代社会への反発として、都合良く解釈され利用される。実際にはどれも「程度」と「好み」の問題にすぎない。そもそも自然と人工は対立概念ですらないとぼくは思っている。人間という生物もその営為も、すべてが自然の中に含まれている。それは勝負にならないレベルの包含関係である。鳥が巣を作り猿が社会を作るように、人間はロケットを作り街を作り国を作る。人間だけが特別だなどとはとんだ思い上がりだろう。 だいたい、薬物治療や臓器移植が不自然だというなら絆創膏を貼るのだって不自然なのである。風邪薬も氷嚢も体温計もみんな不自然だ。養生するのにベッドに寝るのも温かい服を着るのも不自然といえば不自然である。或いは、脳科学の知見を