タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

評論とゲームに関するvivit_jcのブックマーク (2)

  • ソーシャルゲーム批判 - しっきーのブログ

    どうしてソーシャルゲームを批判しなければならないのだろうか。僕が子供の頃、「ゲーム」は親にもまわりの大人にもいい顔をされないものだった。一見眉をしかめたくなるものであっても、目の前に現れた新しい「遊び」を安易に非難するべきではない。それは何より、小さな頃ゲームを手にしていた僕たち自身が一番わかっているはずだ。僕が大切にしていたゲームソフトの数々は、一部の「子供じみた」大人と、僕たち子供のためのものだった。 今は状況が違う。今の子供を持つ大人たちは、もう子供だった頃にゲームが身近だった世代だ。今や「ゲーム」は一大産業であり、日が世界に誇れる文化の一つとしても認められている。ゲームはもう子供だけのものとは言えないし、僕自身ももう子供ではなくなってしまった。 そして、僕は今ここで、「ゲーム」を批判しようとしている。新しく出てきた「ソーシャルゲーム」は家庭用ゲームを越えて、すでに国内のゲーム産業

    ソーシャルゲーム批判 - しっきーのブログ
    vivit_jc
    vivit_jc 2014/07/28
    言いたいことは伝わるけど長い。要約が欲しい
  • 北へ。の国から:ノベルゲームにおける「分岐」の軽視/ゲーム性の喪失と本質否定

    「まどか☆マギカ ポータブル」をプレイしていて改めて感じた、現行AVGの問題点をここに記しておこうかと思います。(当該ゲームの感想自体はこちら) なお、ここに記すAVGにおけるゲーム性変質の拡大とノベルゲームの衰退はリンクしている、とBLOG主は考えていますが、定量化が難しいので予想に留めます。また、もし相関があるとするならば、前者が後者を導いたと言うよりも、シナリオ作成の省力化・省コスト化に伴う物ではないかと言う予想は、容易にできるでしょう。論で詳述しますが、ゲーム性をもったシナリオ分岐は格段に難度が上がり、開発時間当たりのテキスト量、つまりコストを圧迫します。テキスト容量が肥大化を続けるトレンドの中にあっては、大きな問題となりますから。 さて、最初に改めて結論を書いておきます。 ・現行のシナリオ分岐型ゲームは、その質を見失い、ただの短編集になっている ・その質とは、シナリオ分岐に

    北へ。の国から:ノベルゲームにおける「分岐」の軽視/ゲーム性の喪失と本質否定
  • 1