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ブックマーク / tamarunoboru.cocolog-nifty.com (30)

  • 王位戦(羽生王位―木村八段)第3局はタイトル戦で22年ぶりの持将棋: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    8月上旬に行われた王位戦(羽生善治王位―木村一基八段)第3局は、角換わり腰掛け銀の戦型から羽生の執拗な攻めを木村が懸命に受ける展開となりました。羽生の攻めはやや切れ筋でしたが、木村が王手馬取りの手を見落として苦しくしました。その後、木村は入玉(敵陣に玉が入ること)して「持将棋」(じしょうぎ)をめざしましたが、規定の点数に達するかどうか微妙な状況でした。しかし羽生も入玉した178手目の局面で、両対局者の合意によって持将棋が成立しました。 両者の玉がお互いに敵陣に入って詰まない状態となり、盤上の駒(玉は除く)と持ち駒の合計点数(大駒5点・小駒1点で換算)がともに24点以上ならば、持将棋が成立して引き分けとなります。一方が24点に達しないと負けです。 タイトル戦で同じ引き分けの「千日手」になった場合は、持ち時間を短縮してその場で指し直しをします。手数と時間がかかる持将棋になった場合は、1局分とみ

    y_koutarou
    y_koutarou 2014/09/07
    『一定の条件を満たした時点で、一方の対局者が持将棋または自分の勝ちを宣言すれば、認められることになりました。《中略》プロ棋界でも昨年から正式な規定に決まりました。』宣言法、プロでも採用されてたのか。
  • プロ並みの実力に進化した将棋ソフトと棋士との今後の関係: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    6月13日のブログで、あるベテラン棋士が将棋連盟総会の席上で「電王戦は棋士の人選に問題がある。最強の布陣で臨んでほしい。負けた棋士には対局料を払わなくていい」と発言したことを紹介したところ、次のような内容のコメントが寄せられました。 「会場の空気はどのようなものだったのでしょうか」《ベナユン》、「ご年配の棋士の方々は、いまだに人間がコンピューター将棋と互角以上の戦いができると思っている方が多いのでしょうか」《Britty》、「エースが打たれて負けた。エース級を5人揃えれば勝てる。そんな言い訳にしか聞こえません」《Shellby》、「電王戦で『勝って当たり前、負けて恥さらし』みたいなファンばかりならば、出場する棋士は出てきません」《通行人》、「35年ほど前に『将棋世界』のプロ・アマ平手戦でプロが初めて敗れたとき、『プロ落城の日』という衝撃的な見出しが載りました。しかし現在ではプロ棋戦にアマ枠

    y_koutarou
    y_koutarou 2014/06/29
    『電王戦にタイトル保持者の棋士が出場するには棋戦主催者の新聞社との協議が必要で、現実的にその可能性は当分ないと思います。』それはとても残念。また似たような人選になるなら、もう電王戦に興味はない。
  • 田丸が議長を務めた今年6月の将棋連盟総会の模様: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    私のパソコンに不具合が生じたために、このブログの更新を休止していましたが、新しいパソコンを立ち上げましたので1ヶ月ぶりに再開します。 公益社団法人・日将棋連盟の今年の通常総会が6月7日、東京の将棋会館に隣接する「けんぽプラザ」で開かれました。東京将棋記者会の要請によって、昨年から総会の模様を開会から閉会まで報道陣にすべて公開しています。 写真・上は、会場の光景。224人の会員(現役棋士・引退棋士・女流棋士)のうち、約7割の棋士が出席しました。 冒頭で連盟会長の谷川浩司九段が挨拶した後、私こと田丸昇九段を議長、浦野真彦八段を副議長に指名して承認されました。 写真・下は、前列の右から、専務理事の田中寅彦九段、谷川会長、田丸議長、浦野副議長など。後列は、ほかの理事と監事。※写真はいずれも「週刊将棋」撮影。 総会で議長の指名は会長の専権事項です。年輩棋士と中堅棋士、関東棋士と関西棋士、という組み

    y_koutarou
    y_koutarou 2013/07/07
    『遅刻の件を説明しますと、持ち時間が6時間の順位戦の場合、最大で1時間59分も遅刻しても、残り3分で対局できます。《中略》新しい罰則は、持ち時間にかかわらず最長1時間で不戦敗となります。』
  • 6月に行われる竜王戦・田丸―櫛田の師弟戦は弟子の引退がかかる運命の対局: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    竜王戦6組・昇級者決定戦の2回戦で、私こと田丸昇八段と櫛田陽一六段の対局が6月5日に行われます。師匠の私と弟子の櫛田が対戦する「師弟戦」です。 勝負がつく世界において、師匠と弟子が個人戦の形で戦うのはきわめて稀なことで、将棋界のほかに囲碁界ぐらいだと思います。相撲界では引退してから師匠(親方)になるので、師弟戦の取組は絶対にありません。 過去の師弟戦で最たるケースは、大山康晴十五世名人と有吉道夫九段の対戦でした。両者はタイトル戦、A級順位戦などで、計68局も対戦しました(大山の40勝28敗)。中でも1969年(昭和44年)の名人戦では、師匠の大山名人に弟子の有吉八段が挑戦する名人戦の歴史で初めての師弟戦が実現しました。 大山―有吉の名人戦7番勝負の前半では、両者が対局中でも雑談して師弟戦らしい和やかな雰囲気が漂っていたそうです。しかし第5局で有吉が勝って3勝2敗と勝ち越し、名人獲得まであと

    y_koutarou
    y_koutarou 2012/05/21
    『櫛田はフリークラス棋士規定によって、今年3月で引退が決まりました。ただ勝ち残っている棋戦には出場でき、その唯一の棋戦が竜王戦です。櫛田は私に勝てば3回戦に進み、負ければ引退となります。』
  • 「順位戦」制度の問題点へのコメントについて: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    前回のブログで、5人もの全勝者が出た今期「順位戦」をテーマにしたところ、制度の問題点を指摘したコメントが多く寄せられました。 とくにC級2組では、菅井竜也五段が上位の順位で9勝1敗の好成績を挙げながら、3人の全勝者が出たために昇級できない結果となりました。 「菅井五段が哀れです。今後は、B級2組~C級1組で全勝者が2人、C級2組で全勝者が3人出た場合に限り、1敗の最上位者も昇級できる制度はいかがでしょうか」という内容のコメント(3月23日)は《S.H》さん。「昇級者を増やす、次点・2回で昇級できる、などの制度変更が必要な時期と思います」という内容のコメント(3月21日)は《masa》さん。 菅井五段が9勝1敗で昇級できなかったことについて、読売新聞の将棋欄で「順位戦の制度に問題がある」と論評されたそうです。もし《S.H》さんの案のような特例規定があれば、菅井は昇級できました。《masa》さ

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    y_koutarou 2012/03/28
    『C級2組の問題点は、とても複雑で深刻なものがあります。対戦相手の抽選のことも含めて、次回のテーマとします。』それは楽しみだ。
  • 「カメラ小僧」になって写真を撮りまくっていた若手棋士時代の田丸: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    この写真は、今から37年前の1974年(昭和49年)、東京・千駄ヶ谷の旧将棋会館の2階ロビーで撮影されました。後方の絵は、将棋を愛好した著名画家の方が将棋連盟に寄贈したものです。そして被写体は誰でしょうか? すでにおわかりですね。若手棋士時代の私こと田丸昇五段(当時24歳)でした。髪の毛(当然ながら黒いです)は美容院でパーマしてウェーブが軽くかかっています。花柄シャツは当時の流行でした。私にも洒落っけを持った青春時代があったのです。 私が手にしているのはニコンの一眼レフカメラで、左はキャノンの一眼レフカメラ。どちらも私が所有していました。右のドイツ製の二眼レフカメラは、撮影用の素材にカメラマンの方から借りました。じつは当時、私は写真に凝っていたのです。 私は少年時代から文章を書くのが好きで、日記は15歳から10年間も書き続けました。棋士になると、将棋イベントや奨励会員を紹介する記事を将棋

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    y_koutarou 2011/10/23
    これはいい写真。
  • 親子棋士、20年前の指導対局、子どもの名前のコメントへの返事: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    私のブログは今年10月で3年目に入りました。いつも読んでいただき、ありがとうございます。今後も将棋界の裏話、棋士の意外な一面、私の思い出話などを伝えていきます。これまで原則として週2回の更新を続けてきました。しかし8月と9月は更新回数が少なくなっています。じつは今年12月に私の書籍が刊行される予定で、それに向けて夏から執筆に取り組んでいます。その関係でブログの執筆が遅れがちです。ひとつ、ご理解のほどをお願いします。 その書籍は、6年前に刊行された『将棋界の事件簿』の続編に当たる内容です。約35年前の将棋連盟と大新聞社が名人戦契約で決裂した問題から、5年前の大新聞社同士の名人戦共催の問題まで、一連の名人戦問題の経過と真相を書いています。また、今年で棋士生活40年目を迎えた私の思い出の対局やエピソードも振り返ります。発売日が近くなったら、また改めて紹介させてもらいます。 「親子棋士の件(9月5

    y_koutarou
    y_koutarou 2011/10/10
    『6年前に刊行された『将棋界の事件簿』の続編に当たる内容です。約35年前の将棋連盟と大新聞社が名人戦契約で決裂した問題から、5年前の大新聞社同士の名人戦共催の問題まで』おお、そいつは楽しみだ。
  • 秒読み中にトイレに行った相手に「塩を送って」敗れた全盛時代の大山: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

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    y_koutarou 2011/07/12
    『激闘が繰り広げられていた終盤の局面で、意外な光景が現れました。1分将棋の秒読みだった佐伯が、「お手洗いに行ってもかまいませんか」と原田に声をかけたのです。』
  • 用足し以外に勝負のうえで重要な意味がある対局においてのトイレ: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    スポーツ番組のアナウンサーは、実況中継中の用足しの心配について聞かれることがよくあり、当日は水分の摂取をなるべく控えるそうです。私たち将棋棋士も、同じような質問を受けます。ただ放送中に席を離れることが難しいアナウンサーと違って、対局中に中座してトイレにはいつでも行けます(自分の手番だと持ち時間がその分だけ減ります)。 棋士は対局中、頭を酷使したり緊張感が高まってくると喉が渇きます。お茶やミネラルウォーターなどの飲み物をかなり多くとります。必然的にトイレに行く回数が増えます。長考が続く難解な局面では、対局者が1手ごとにトイレに行く場合もあります。 じつは、対局者がトイレに行くのは用足しだけではなく、勝負のうえで重要な意味があります。閉ざされた空間は、高ぶった気持ちを静めたり、逆に「がんばるぞ!」と独り言を吐いて戦意を高揚させるのに、打ってつけの場所なのです。私は用を足しながら、勝負手を決断し

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    y_koutarou 2011/07/08
    トイレ事件未遂って結構起こってるのかな? 瀬川の著書で奨励会時代に勝又がやったと書いてあったし、加藤一二三もやったことがあると聞いた。
  • 最終の第7局にもつれ込んだ今期名人戦(羽生名人―森内九段)と過去のデータ: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

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    y_koutarou 2011/06/28
    『プロ野球の日本シリーズや囲碁のタイトル戦では、3連敗から4連勝して劇的な逆転勝ちを収めたことが過去に何度もありました。将棋のタイトル戦では、3連勝~3連敗という事例がそもそも稀でした。』
  • 里見香奈女流三冠の奨励会受験に関するコメントについて: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

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    y_koutarou 2011/04/29
    『以上のコメントのように、里見の奨励会受験に関する問題はなかなか複雑です。改めてブログのテーマとします。』
  • 最強の「女流棋士」の里見香奈女流三冠が初の「女性棋士」をめざす背景: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    今や最強の女流棋士である里見香奈(女流三冠)が、棋士養成機関の「奨励会」の1級編入試験を受験するという話には、私もかなり驚きました。里見はその理由について、「奨励会に入って自分の棋力を磨き、自分がどこまでできるか挑戦したい」と語りました。 里見は女流棋戦のほかに、竜王戦・王座戦・棋聖戦などのプロ公式戦にも特別出場できます。そのプロ公式戦での対局は、3年間で15局ありました。成績は2勝(矢倉規広六段と牧野光則四段に勝利)13敗でしたが、内容的には大いに健闘していると思います。 私見では、里見が自分の棋力を磨く環境は現状でも十分だと思います。ただ里見はプロ公式戦で対局を重ねていくうちに、自分の実力不足を痛感したようです。より高いレベルに達するには、奨励会で修業するのが最適と考えたのでしょう。19歳という若さは、どんな難関にも立ち向かっていけそうです。私は、そんな里見の心意気を高く評価したいです

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    y_koutarou 2011/04/26
    『男性奨励会員に悪影響を及ぼす、奨励会の日程が女流棋戦の対局に左右される、などの弊害が生じました。ある年には、奨励会の最下級である6級の女性奨励会員が、プロ公式戦に特別出場して四段の棋士と対戦』
  • 大震災と停電で慌ただしかった王将戦(久保王将―豊島六段)第6局で久保が勝って王将初防衛: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

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    y_koutarou 2011/03/18
    『試しに照明を落として発電機で電灯を点けてみました。その様子は、まるで「闇試合」をするようでした…。』それも見たかったかもと一瞬思ったが、やっぱりそんなことはない方がいいと思い直した。
  • 反則が確認された場合の第三者の指摘について: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    「対局者が反則をした場合、将棋連盟の規則では第三者も反則を指摘できるとなっています。確かに泥棒を見たら通報するのが当然ですが、将棋は別だと思います。第三者が反則を指摘するのは、広い意味での助言にあたり、反則を指摘してはいけない、というのが私の考えです。相手の反則を見つけるのも、対局者の実力だと思います」 私の知り合いのKさんから、こんな内容の意見が届きました。Kさんはある県のアマ将棋団体の実行役員を務めています。実際に将棋大会で、反則をめぐるトラブルを経験したのかもしれません。公式アマ大会では、連盟が定めるプロ公式戦での「対局規定」が原則として適用されます。その第3章(対局の進行)の第8条には反則について記されていて、とくに重要なのが第2項・第3項・第5項です。 「両対局者が反則に気がつかずに対局を続行し、終局前に反則行為が確認された場合には、反則が行われた時点に戻して反則負けが成立する」

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    y_koutarou 2011/01/29
    反則の指摘は第三者も可。ある意味不公平なルール。Aが反則したら指摘するが、Bが反則したら指摘しない、ということもできるのだから。公平さよりルールの見落としをなくすことを優先したと解釈している。
  • 「モーニング」誌の将棋漫画『ひらけ駒!』の第1話に田丸がなぜか登場: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    先週に発売された漫画誌「モーニング」(講談社)で、『ひらけ駒!』という将棋漫画の連載が始まりました。主人公は、将棋に熱中している小学生の《宝》と、その息子を暖かく見守る母親です。第1話では、親子が東京・千駄ヶ谷の将棋会館を初めて訪れます。 いつも安い駒で指している《宝》が、会館の売店にある高級な駒を見てほしがると、母親は「今度、《宝》が昇級したら、おじいちゃんに買ってもらうように頼んであげる」と励まします。そして会館を出るとき、白髪ロン毛の男性が後から歩いてきて、隣り合わせた親子に「にこっ」と微笑んで通り過ぎます(その誌面が上の写真)。親子は思わず顔を見合わせます。《宝》が「田丸昇八段だった…。を持ってる…」と驚いたように言えば、母親は「優しそうな人だったねぇ」と印象を語ります。 じつは、私がその将棋漫画に出ることは、事前に何も知らされていませんでした。漫画誌を読んだ友人から聞いて初めて

    y_koutarou
    y_koutarou 2011/01/14
    『ひらけ駒!』の第1話にいきなり田丸昇登場。『じつは、私がその将棋漫画に出ることは、事前に何も知らされていませんでした。』
  • 現役のまま亡くなった大山、芹沢、板谷、村山らの棋士の生き様と「絶局」: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    今回のテーマは前回に続き、現役のまま亡くなった棋士の最後の対局である「絶局」です。 芹沢博文九段(1987年に51歳で死去)は後半生で、将棋番組の解説、観戦記・随筆の執筆、雑誌で著名人との対談、テレビでタレント活動など、盤外で活発に活動しました。田中角栄元首相の後押しによる政界進出も取り沙汰されました。大の酒豪だった芹沢は、長年にわたって深酒を続けました。その影響で晩年は体を壊し、医者から断酒をきつく言い渡されました。しかし、それでも飲みました。絶局は7日前の鈴木輝彦八段戦(竜王戦)で、芹沢は中盤で投了しました。芹沢は自分の思うままに生きた人でした。芹沢の深酒について、「長い年月をかけた、ゆるやかな自殺だった」という見方もありました。 板谷進九段(1988年に47歳で死去)は「熱血漢」という言葉がふさわしい人でした。「将棋は体力だ」が信条で、対局では体を張って全力で戦いました。地元の名古屋

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    y_koutarou 2010/12/15
    『98年版『将棋年鑑』のアンケート欄で、「好きな言葉」への村山の回答は「土に還る」でした。』
  • 田丸の著書、真部九段の絶局のコメントへの返事: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

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    y_koutarou 2010/12/03
    『そんな偶然があるとはとても不思議で、真部の霊が乗り移ったのでしょうか…。局後に事情を聞かされた大内は、「驚いたね。真部くんの後を指し継いだ形になったんだ。残念だな。勝ってやらなきゃいけなかった…」』
  • 「棋界のプリンス」と呼ばれた真部一男九段が3年前に55歳で急逝: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

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    y_koutarou 2010/11/24
    そうか、3年前の今日か……。『3年前の2007年11月24日。真部一男九段が55歳で急逝しました。』真部のかっちょええ写真あり。
  • コンピューター将棋ソフト『あから2010』が清水市代女流王将に勝利: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    コンピューター将棋ソフトの棋力は、10年ほど前はアマ二、三段といわれました。その後は急速に進歩してアマ五、六段に伸びました。そして現在ではさらにパワーアップし、アマ名人戦、アマ竜王戦などで優勝したトップアマと遜色がないそうです。実際、専門紙が企画したお好み対局などでよく負かしています。 将棋連盟は5年前、プロ棋士・女流棋士が公式の場で許可なくコンピューター将棋ソフトと対局することを禁じる通達を出しました。それには意図がありました。棋士対ソフトの勝負の価値を高めるためでした。そして3年前、渡辺明竜王と当時の最強ソフト『ボナンザ』が対局しました。結果は、渡辺が終盤の寄せ合いで一手勝ちを収めましたが、実際は難解な変化があって形勢不明でした。ソフトの強さが改めて認識されました。渡辺がもし負けたら「竜王」の威光にも影響しかねないので、対局料はかなり高額だったそうです(一説では竜王賞金の約4分の1とか

    y_koutarou
    y_koutarou 2010/10/22
    『3年前、渡辺明竜王と当時の最強ソフト『ボナンザ』が対局しました。《中略》渡辺がもし負けたら「竜王」の威光にも影響しかねないので、対局料はかなり高額だったそうです(一説では竜王賞金の約4分の1とか)』
  • コンピューター将棋の歴史と14年前の棋士たちの見方: 田丸昇公式ブログ と金 横歩き

    コンピューター将棋歴史は約40年です。当初は、日立やNECに勤める将棋好きの技術者が趣味も兼ねて開発しました。プロ棋戦の棋譜を何局も入力し、駒の損得・手筋・玉の危険度などを元にプログラミングしました。しかし技術者の棋力が低かったり、入力手段が幼稚だったことで、かなりお粗末な代物でした。序盤こそプロ並みの駒組を作りましたが、中盤以降は意味不明の手が続いたり駒を捨てたり、何かの危険を察知して囲いの中の玉が急に出てきたりと、めちゃくちゃな将棋になりました。 1990年代前半に発売されたゲーム機の将棋ソフトは、ある程度は改良されました。それでも1手ごとの考慮時間が長かったり、負けを認識すると無駄な王手を連発するなど、玩具の域を超えていませんでした。ただ購入する側は、いつでも好きなときに指せる、人間相手に負けた悔しさをぶつけられる、などの理由でそれなりに楽しめました。 90年代後半になると、優秀な

    y_koutarou
    y_koutarou 2010/10/19
    『加藤一二三「こないでしょう」深浦康市「こない」勝又清和「否定」中井広恵「こない」羽生善治「2015年」中原誠「だいぶ先とは思いますがくるはずです」神吉宏充「5年ぐらい先か。最初に私が負けてやる」』