2013年02月14日02:11 カテゴリ本[edit] フランシス・フクヤマ : 歴史の終わり(上) リベラルな民主主義が人類の最終到達地点である。 それは信賞必罰、努力の「結果に応じた」格差を許容する世界である。政府にぶら下がる「エセ民主主義」とは別世界だ 著者や哲学者は、・・・人間は経済的な欲望(食べ物、飲み物、隠れ家、肉体の保存)だけで生きているのではない。自尊心という「威信を他人に認めされる」気概によって突き動かされている。・・・と言う。 しかし、自尊心や気概によって経済的な利益をもたらす「政治的な権力=他人を支配するソフト・パワー」が得られる。 リベラルな民主主義を認めることは、自分と他人の対等性を認めることだ。自分の欲望と他人の欲望が対等であることを認めることだ。 それは、お互いの欲望を調和させるために、「全員が不満足で満足する」ことを体得することである。 民度(精神)がここ