2012年09月11日20:33 カテゴリ大局観、テーマ、見識[edit] 1940年代の日銀券発行残高推移 日銀が無制限にお札を刷れるようになって、 敗戦を迎え、 戦後の混乱期を経験し、 1950年代の経済成長期の出発点に到達する、 そんな激動の10年が1940年代だ。 1941年に、「保障準備発行限度」が廃止された。 金保有とは無関係に、日銀券を印刷して良いことになった。 1931年の満州事変以降、中国戦線が拡大するにしたがい軍事費は増加をたどった。 1937年の盧溝橋事件、第二次上海事変を経て、日中は宣戦布告の無いままに全面戦争に突入した。 1938年4月には国家総動員法が制定された。 一方10月頃には、日本の軍事力は拡大した中国の戦線に対して補給がままならなくなり、人的(兵員数)、物的(武器弾薬などの補給)の両方の限界に達した。 戦費はウナギのぼりに増加し、ついに 1941年に、「