最近いろいろな場所でイノベーションに関する講演をやってて、その都度、イノベーションに関する意思決定は、杓子定規なルールや手続きに則るのではなく、リーダーによる「全人格的」な直観によって行われるべきだ、という話をしているんですが、将来的には、この「リーダーの直観」に変わる新しい意思決定のあり様が可能になるかもしれないよなあ、とぼんやり考えています。 こう書くと、おいおい例えばピッグス湾事件等の「集団浅慮」の問題を知らないのか?と思われる方もいらっしゃるかも知れません。確かに、一般に同質性の高いエリートが集まると「おバカな意思決定」をやってしまうという傾向があることは数多くの実証例で明らかにされていて否めませんよね。しかし、次の事例を読めば集合的な知性がもつ潜在的な力を認めざるを得ないのではないでしょうか? 1968年5月、アメリカ海軍所属の原子力潜水艦スコーピオンは、地中海で実施されていた軍
ビジネス書の杜の主宰者の好川哲人です。 長らく休止していましたビジネス書の杜の書籍プレゼントを少しずつですが、復活させています。今年2冊目のプレゼントです。2冊目は、コラボレーションの本です。 ロン・リッチ、カール・ウィージ(シスコシステムズ合同会社 執行役員会監修、翻訳) 「コラボレーション革命~あなたの組織の力を引き出す10のステップ」、日経BP社(2013) 昨年になりますが、米国の起業家、齋藤ウィリアム浩幸さんが、「ザ・チーム」という本で、「日本にはグループはあるが、チームがない。これが日本の最大の 問題だ」と指摘されました。この指摘は多くの人に衝撃を与えました。日本人の多くは、自分たちはチームワークがよく、チームで仕事をしていると思っている からです。 齋藤ウィリアム浩幸「ザ・チーム (日本の一番大きな問題を解く) 」、日経BP社(2012) 実は数年前に、「コラボレーション革命
「君の質問の意味がよく分からない。私の担当範囲について聞いているのか。それとも当社全体について聞いているのか」 駈け出しの記者の頃、米企業の事業責任者や製品責任者を取材していて上記のように聞き返されたことがしばしばあった。 担当している領域と行使できる権限の範囲内であればよどみなく質問に答えてくれるが、そこを越える、あるいは越えるかのような質問には答えてくれない。 そこで米国人を取材する際には「あなたの任務と責任について確認させてほしい」と最初に頼むようにしている。その上で取材の後半に「あなたの責任範囲ではないが、これこれしかじかについてどう考えるか」と敢えて聞いてみたりする。 「個人の意見だが」と前置きして答えてくれる場合もあるし、「それは○○に聞いてよ」と言われることもある。○○にはその企業のCEO(最高経営責任者)の愛称が入るのが普通だ。 とにかく彼、彼女らは何事においても境界をはっ
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