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靖国神社に関するamamakoのブックマーク (2)

  • 伝え続けた非戦の願い 軍装で靖国参拝の名物館長 3月に他界した栗林さん|社会,地域の話題|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン)

    軍服をまとい、終戦記念日に靖国神社で戦争を語り続けた栗林さん(右)=2016年8月15日、東京・九段北(黒沼さん提供) 那須町の戦争博物館館長で3月に他界した栗林秀行(くりばやしひでゆき)さん=享年(91)=は毎年8月15日、東京・九段北の靖国神社を軍装で参拝し、参拝者に平和の尊さを伝え続けてきた。破天荒な言動で誤解も受けたが、義理堅く、周囲に慕われたという「名物館長」。関係者はその死を悼み、遺志を継ごうと動いている。 長野県出身の栗林さんは14歳で満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍として旧満州に渡り、終戦後はシベリアに抑留された。帰国後は神戸市での飲店経営などを経て那須に移住。私財を投じ「国内唯一」の戦争博物館を築いた。 8月15日の靖国を毎年訪れ、戦友の鎮魂を祈った。夕方まで境内にとどまり、那須での日常と同様に参拝者に「戦争」を語った。明治の陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)に扮(ふん)

    伝え続けた非戦の願い 軍装で靖国参拝の名物館長 3月に他界した栗林さん|社会,地域の話題|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン)
    amamako
    amamako 2019/08/16
    "栗林さんを追った映画を制作した安原伸(やすはらしん)さん"というのが気になって調べてみたらカメラレンズのNANOHAとかMADOKAとか作ってる人だった
  • 靖国神社、そして葦津珍彦 - Living, Loving, Thinking, Again

    『毎日』の記事なり; 靖国:「戦後」からどこへ/3 神道史大御所の論文 「A級合祀」に疑義 A級戦犯合祀(ごうし)は78年10月、松平永芳宮司が人知れず敢行した。翌79年2月、神社新報編集長だった葦津(あしづ)泰国氏(69)は、意を決して松平宮司に面会を申し入れた。「職員が帰ってから来てくれ」と言われ、社務所応接室を訪れたのは夜だった。 「問いただしたい。靖国神社が(世論の支持の下に)国家護持された暁に晴れて(A級戦犯を)合祀するというのが祭祀制度調査会の一致した考えだった。ご存じか」 同調査会は、神社の国家護持を追求した宮司の諮問機関。61年に設立され、泰国氏の父で思想家の葦津珍彦(うずひこ)氏(92年に82歳で死去)は中心メンバーだった。A級戦犯合祀は委員たちも反対していたのに、松平宮司は相談もせず踏み切ったのだ。 しかし、白い上衣に紫のはかま姿でソファに身を沈めた松平宮司は「国から名

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