ゲームが配信されてから大分経ち、NEEDY GIRL OVERDOSEについての批評も大分増えてきました。 また、「あめちゃん/超てんちゃんに自我が存在せず、作り物のようにしか思えない」ということを書いたりする人もいます。 では、僕の考えはというと…… 「確かに超てんちゃん/あめちゃんは、男性オタクが妄想するお人形のような存在であり、そこに自我は存在しないようにみえる。しかし、そのような『お人形』に人間を変化させてしまうのが、まさしく配信文化というものであるという点で、やっぱりこのゲームは現代の配信者文化や若者文化をうまく描いている」 というものです。どういうことか、これから説明していきましょう。 「役」にすがりつくしかないまず、確かにIGNの記事が言うとおりに、超てんちゃんはもちろん、その超てんちゃんの「本音」として出てくるあめちゃんもまた、「男性オタクの喜ぶ女性像」そのものと言えます。
![弱き者よ、汝の名は……―『NEEDY GIRL OVERDOSE』感想記事を読んで|あままこ(天原誠)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/65c30f24606ea7a55abc5c94c131eba2f4b017f9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fassets.st-note.com%2Fproduction%2Fuploads%2Fimages%2F72383022%2Frectangle_large_type_2_59fe8f74454f29b91f445be448db0dfd.jpeg%3Ffit%3Dbounds%26quality%3D85%26width%3D1280)