「わるさ」が意味するもの──はじめに本書のテーマについてお伺いします。本書で掲げられる4つのテーマ「コピー」「パロディ」「キッチュ」「悪」はどのように生まれてきたのでしょう? この本は僕が学芸員をやってきた10年分ぐらいの仕事の主要なところをまとめたものです。僕のなかで軸になっているものを探したときに、まず「コピー」「パロディ」「キッチュ」の3本柱が立ってきた。これらはすべて「複製」にまつわるテーマなので、そのまま「複製芸術論」に仕立てることもできたんですが、それでは的を絞れていない気がして。そこで、全体の底に流れる観点として「悪」が加わっていきました。 ──それが書名『芸術のわるさ』の「わるさ」につながっていったわけですね。その「悪」は芸術分野ではあまり見慣れないテーマかと思いますが、これにはどのような思いが込められているのでしょうか。 本書の冒頭には、柳田國男が書いた『不幸なる芸術』に
![成相肇インタビュー「美術館は特権的ではないはずだし、”大きい公民館”でもいい」。単著『芸術のわるさ コピー、パロディ、キッチュ、悪』が示す、新たな芸術・文化論](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/33c544b48d578a135cf80405850109d6e49b4e31/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages.ctfassets.net%2Fj05yk38inose%2F1okVH6UDW1sYhIIpL2yJs0%2F2463ca8a15ec58067aeb75c84ceb3829%2FIMG_9958.jpg%3Fw%3D1200)