本田透氏、しろはただった気がする。それとも別なサイト? ネットであるだけで影響力が薄れる時代だから成立した気もして、ネットが社会に組み込まれてしまったから、再び秩序と礼儀によって私は自分の口を縛った ブログ インターネット
まず、これを書いた人間は女性リスナー側。 普段どちらかと言えば配信者ではなく二次元のキャラクターを推しており、配信者の配信を見ることも稀だが、一時期とある男性配信者の配信を見ることにハマっていたことや、男性声優を推していたこと、腐女子で所謂nmmnというものを見ていたことがある。 二次創作をすることも好きで、二次元キャラクターに対して散文で何かを書くこともある。 何故これを書いたかと言えば、自省や、今後どの表現を使えばお互いに傷つかないかの考察のためです。 まず、これを書く衝動となったのが、とある人のツイート。 私が一時期見ていた男性配信者と、その先輩たちの数年前のツイート群をスクリーンショットしたツイート。 そのスクリーンショットの中で、男性配信者は先輩たち(この方たちも男性です)にいじられていて、私がそれを見た瞬間に頭の中に過ぎった言葉は『かわいい』だった。 その男性配信者が、女性リス
発売延期となった『七色ギフテッド』の表紙 この記事の写真をすべて見る 「ギフテッドの子どもたちへの偏見を助長する作品である」――保護者からの強い抗議を上がった。その後、株式会社KADOKAWA、角川つばさ文庫編集部は、7月12日に発売予定だった『七色ギフテッド! 天才だらけ!? 学校生活はがけっぷち!』(著者・深海ゆずは)について、「事実とは異なる誤解をまねく表現があることがわかりました」と謝罪し、発売を延期した。いったい、何が問題だったのか。取材を進めると、「ギフテッド」という言葉の定義をめぐる難しさがみえてきた。 【写真】IQ154と高知能ゆえ悩むギフテッドの少年 * * * コトの発端は6月、KADOKAWAの児童書ポータルサイト「ヨメルバ」で『七色ギフテッド!』の先行連載が始まったことだった。 作品の舞台は、特別な才能を持つ「ギフテッド」たちが集められた超エリート校。そこへ
2日夜、名古屋市のサッカー場で行われた天皇杯の名古屋グランパス対浦和レッズの試合後にサポーターの一部が騒動を起こし、警察や消防が出動する事態となりました。今のところ、けが人はいないということです。 2日夜、名古屋市港区にあるサッカー場で、天皇杯4回戦の名古屋グランパス対浦和レッズのJ1のチームどうしの試合が行われ、名古屋グランパスが3対0で勝ちました。 消防によりますと、試合が終わった後の午後9時15分ごろ、サッカー場の関係者から、「サポーターどうしの取っ組み合いが起きている」などと通報があり、警察も出動しました。 サッカー場の係員がサポーターに押されて転倒したという情報もあったということですが、今のところけが人はいないということです。
1983年徳島県生まれ。大阪在住。散歩が趣味の組込エンジニア。エアコンの配管や室外機のある風景など、普段着の街を見るのが好き。日常的すぎて誰も気にしないようなモノに気付いていきたい。(動画インタビュー) 前の記事:網戸越しに景色を撮ると自分ちの庭みたいに見える > 個人サイト NEKOPLA Tumblr 腕木通信とは 腕木通信は、1793年にクロード・シャップによって発明された通信手段である。今でもよく知られているモールス信号(電信)が登場するよりも前の話だ。 どんな感じで情報を送るのか、自作の腕木通信機で試してみた。例として「我が輩は猫である、名前はまだない(WAGAHAI HA NEKO DEARU NAMAE HA MADA NAI)」というのを送ってみよう。 このクネクネした動きが「猫である(NEKODEARU)」を表している 全文は動画でどうぞ モールス信号はトン(・)とツー(
元妻をSNSで中傷したとして、名誉毀損の罪に問われていた橋本崇載・元棋士。大津地裁は23日、懲役1年6月、執行猶予4年の判決を言い渡しました。 橋本氏は、引退後、共同親権運動の「スター」的な存在として祭り上げられたあげく、SNSで元妻を中傷するなどして逮捕に至りました。 橋本氏を利用し尽くした共同親権運動子連れ別居について公表後、橋本氏に共同親権運動の活動家が接触して運動の前面に押し出しました。また、共同親権派の弁護士や政治家も、彼の知名度を運動に利用しました。 橋本氏のSNSには、共同親権派からの熱いリプライが相次ぎ、橋本氏は共同親権運動の「広告塔」へと祭り上げられていきました。こちらの記事は、その状況を端的に表現しています。 元プロ棋士・橋本崇載容疑者が元妻を「殺人鬼」と中傷し逮捕 「無差別殺人を起こして自殺する」過激すぎた共同親権推進活動 (2023年1月19日 デイリー新潮) 「棋
公開されて以降、ネット中心に話題を呼んでいるスタジオジブリ最新作『君たちはどう生きるか』。14日の映画公開から現在に至るまで公式から何一つ情報が出ていないが、唯一公表されているのが鳥の描かれたメインビジュアルである。その鳥を追って、記者は東京の奥地に分け入った。 【合わせて読みたい】『君たちはどう生きるか』初日に見た“異様な光景” 誰もが不安になるレベルで… 画像をもっと見る ■あの鳥の正体は… 同作で描かれた一羽の鳥。黄色いくちばしに黄色い目、そして青と白の体色。くちばしの中には別の目があり、今にも飛びかかってきそうなじつに不気味な印象を受ける。 この鳥の正体はアオサギである。翼を広げると170cmほどもあり、国内にいるサギの中でも最大級の大きさといわれる。また非常に攻撃的かつ、他の鳥から獲物を奪う狡猾な性格としても知られる。 …そんな情報をネットで見つけ「なんて恐ろしい鳥」と震えあがっ
共同養育支援議員連盟の柴山昌彦会長が、テレビ番組のインタビューで、耐えられるDVであるかを判断する仕組みが必要との発言をしていたことが明らかになりました。この発言に対し、DV被害者や弁護士から批判の声が相次いでいます。 問題の発言があったのは、KNB北日本放送で放映された「子どもの共同親権 当事者の声は」でのインタビューです。 (後編 4分10秒から) 柴山昌彦議員の「耐えられるDV」発言 全文「共同親権推進派の柴山衆議院議員は、DVをめぐる判断に疑問を投げかけます」とのナレーションに続き、柴山議員は以下のように発言しました。 被害者とされる方々の一方的な意見によって、子どもの連れ去りが実行されてしまうということが本当に問題がないのかどうか。 公正な中立な観点から、DVの有無とか、それが本当に耐えられるものか耐えられないものであるかということを判断をする仕組みの一刻も早い確立が必要だと思っ
Published 2023/07/20 21:48 (JST) Updated 2023/07/20 23:23 (JST) 滋賀県警は20日、元妻(33)らの住宅に侵入し元妻と、その父親(68)を殴って殺害しようとしたとして殺人未遂と住居侵入の疑いで、将棋の元プロ棋士で住所、職業不詳の橋本崇載容疑者(40)を逮捕した。県警によると、元妻と父は軽傷で、橋本容疑者も頭部から出血するなど負傷したという。橋本容疑者は黙秘している。県警は経緯を調べている。 逮捕容疑は同日午前7時ごろ、大津市の元妻らの住宅に無施錠の窓から侵入し、元妻と父の頭などをくわのようなもので殴って殺害しようとした疑い。 橋本容疑者は元妻に対する名誉毀損罪で6月、大津地裁から懲役1年6月、執行猶予4年の判決を受けていた。
美しい友情の終わり 2023.07.19 Updated by yomoyomo on July 19, 2023, 05:59 am JST Everyone I know goes away in the end (Nine Inch Nails, "Hurt") 先月、アメリカ合衆国政府による国際的な情報監視網を告発したエドワード・スノーデンの最初の暴露から10年経ち、我々は何を学んだかを問うRegisterの記事を読み、しばし物思いにふけってしまいました。 この手の「○○○○から×年」は切り口次第なので、普段は特に興味を惹かれることはありませんが、この時は二つ個人的な事情がありました。ひとつは、もう少しでワタシは50歳になることで、つまり、この10年と言われると、それはワタシの40代にほぼ重なることになります。そして、エドワード・スノーデンの名前に、その少し前にたまたま読んでいたあ
4月初め、日本のクラシック音楽ファンや音楽関係者の間に衝撃が走った。国内の録音作品を紹介してきた雑誌「レコード芸術」(レコ芸)の休刊が、出版元の音楽之友社から発表されたからだ。7月号が発売され、71年の歴史に幕を閉じた今、自らも筆者として長年、批評を寄せてきた音楽評論家で慶応大教授の片山杜秀さんに「レコ芸」の果たした歴史的意義について語ってもらった。前後編2回にわたってお送りします(後編/「レコ芸」休刊の予波 「クラシックは暗闇の世界に」)。【聞き手・須藤唯哉】 「教養」としてのクラシックと「レコ芸」 かつてレコードというものは値段が高いものでした。自動車などと同じように高価なものは、お買い物ガイドとしての雑誌が必要とされていて、どれがいいものか知りたいというニーズが高かったわけです。レコード雑誌は「レコ芸」のほかにもありました。社会的なニーズが高かったということですよね。 そんなレコード
宮﨑駿による『不思議の国のアリス』(もしくは宮沢賢治の童話)とでもいうような、イマジネーションの破茶滅茶なまでの躍動。『千と千尋の神隠し』以降の作品に見られた傾向がさらに押し進み、ストーリー・テリングとしては、明らかに混乱している。しかし、それは宮﨑駿の“世界”に対する誠実な態度であるように思う。シンプルで明瞭なストーリーで語り切れるほど、この複雑で暗澹たる現代は生易しくないし、そもそも人間というのはそんなに簡単なものではない。たとえば、この映画における主人公の父親。彼にいい印象を持つ観客は多くないだろう。転校初日に車で学校に乗りつけたり、子どもの喧嘩に介入したりするさまなどは、まさにエーリッヒ・ケストナーが『飛ぶ教室』で書いた大人への批判がそのまま当てはまる。 どうしておとなはじぶんの子どものころをすっかり忘れてしまい、子どもたちにはときに悲しいことたみじなことだってあるということを、あ
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