東海地震の発生が迫っているとの学説は昭和51年、石橋克彦神戸大名誉教授が提唱した。東海地方は昭和東南海・南海地震の際に断層が割れ残り、安政東海地震(1854年)以来地震がなく、ひずみが蓄積していると警鐘を鳴らした。 明確な前兆現象は見つかっていなかったが、学界や国は観測強化の必要性を訴えた。調査部会は「地震予知への大きな期待感があった」と分析する。 高まる期待は「確信」に変容した。当時の気象庁幹部は「地震の発生する数時間前から数日前の時点で、相当顕著な前兆現象をつかまえることができる」と国会で答弁している。科学的な根拠があいまいなまま、学説からわずか2年で大震法が施行され、予知体制が動き出した。 ある地震学者は「予知は研究費がつくメリットもあった。社会全体が良いニュースを受け入れたかったのではないか」と振り返る。 風向きが変わったのは平成7年の阪神大震災。国民に過大な期待を抱かせた反省から