三吉聖王オフィシャルブログ「生涯学蹴」Powered by Ameba プロサッカー選手、三吉聖王オフィシャルブログ。
三吉聖王オフィシャルブログ「生涯学蹴」Powered by Ameba プロサッカー選手、三吉聖王オフィシャルブログ。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、陸上自衛隊の被災地で活動していた部隊が最もメディアに大きく取り上げられた。とはいえ、こうした“主攻”が活躍するには“助攻”や“後詰め”が重要になることはいうまでもない。今回はこうした部隊の活動に焦点を当てることにし、まずは“後詰め”。首都防衛を担う陸自第1師団は東北への大規模な部隊派遣をしていなかったが、どんな活動をしていたのか。師団長の中川義章陸将に聞いた。(肩書、階級とも当時) 午後2時46分の発生時、中川氏は練馬駐屯地(東京都練馬区)の師団長室で副師団長の小林英彦陸将補、幕僚長の武政賢一1佐と新年度の業務計画の打ち合わせをしていた。そこに大きな揺れ。 「瞬間、首都直下地震がついに来たと思った。毎年初詣で『首都直下がどうか起きませんように』とお祈りしていたぐらい大きな心配事になっていただけに、とっさにそう思ったんです」 中川氏は2009年
日本の皆さん、ISS(国際宇宙ステーション)第39次船長に就任したJAXA(宇宙航空研究開発機構)宇宙飛行士の若田光一です。 ISSという地球最大規模の国際協力プロジェクトの中で、船長という大役を任されたことを日本人として誇りに思います。 私の船長の就任は、これまで日本が築き上げてきた実績、そして高い信頼の表れだと思います。これは私1人の力ではなしえなかったことであり、この2回目の長期滞在を通して、卓越した日本のチーム力を認識していると同時に、私たちが「きぼう」の大きなチームの一員であることを感じています。 私は今回の長期滞在にあたり、和、ハーモニーをその信念として挙げさせてもらいました。和という言葉は、長い歴史の中で、日本人の心を表す言葉だと思います。ISSという国際協力プロジェクトの中で、和の心を大切にして、相手を思いやり、そして調和の中からベストな結果を生み出す、世界の中の日本らしさ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く