北九州に加入が決まり、原ゼネラルマネジャー(左)と握手を交わす九州共立大のFW柿本(25日、九州共立大で) サッカー・J2北九州が、チーム編成の方針を大きく転換した。期限付き移籍による補強を減らし、大卒ルーキーを積極的に獲得する。北九州市が計画しているJ1基準の新スタジアムが使えるのは、2017年シーズンからの予定で、その年のJ1昇格を見据えたチーム作りに取り組む。 今季は9位と健闘したが、チームトップの14得点を挙げたFW端戸ら期限付き移籍組が多く、特別指定選手を除く29人のうち7人もいた。「期限付きでは、その年の戦力にはなってもクラブに財産が残らない」と原憲一ゼネラルマネジャー。当面はJ1を目指せないため、若手育成にかじを切ることにした。 育成と言っても、下部組織から育てるには時間がかかる。そこで着目したのが、即戦力で成長の余地もある大卒新人だ。今季は1人だったが、来季へ向け、地元・北
来季からサッカー・J2に昇格する日本フットボールリーグ(JFL)のV・ファーレン長崎が、佐野達監督(49)と来季の契約を結ばないことが20日、わかった。同監督は就任3年目の今季、JFL初優勝を果たし、昇格に導いたばかりだった。 読売新聞の取材に対し、クラブ側は「佐野監督が築いたサッカーのベースは継承する。近く記者会見を開き、退任の理由や後任について説明する」としている。佐野監督は「長崎のために全力を尽くしたので残念としか言えない。積み重ねたサッカーでJ2に挑みたかった」と語った。 佐野監督は静岡県出身。現役時代はDFとして日産自動車(現・J1横浜M)で活躍し、日本代表でもプレーした。引退後はJ2草津で監督を務め、2010年シーズンから長崎の指揮を執っていた。
福岡市は観光施策のアドバイザーとして、前観光庁長官でサッカーJリーグ・大分トリニータの運営会社社長を務めた溝畑宏・内閣官房参与(52)=写真=を起用する方針を固めた。28日に発表する。 溝畑氏は旧自治省出身で、1990年に大分県に出向。企画文化部参事を務めながら、大分トリニータの運営会社でゼネラルマネジャーを兼務し、2004年に社長に就いた。10年に観光庁長官に就任し、退任後の今年5月から内閣官房参与を務めている。長官時代は東日本大震災で落ち込んだ国内観光を盛り上げるため、長官名で海外からのツアー客に歓迎のメッセージを送るなどした。 福岡市の高島宗一郎市長は観光振興に力を入れており、全国の先進事例に通じている溝畑氏の助言を施策に生かしたい考えだ。
サッカー・Jリーグ1部(J1)昇格を目指し、行政に1億円の支援を求めている2部(J2)の大分トリニータについて、大分県が市町村と共同で計1億円を財政支出する方針を固めたことがわかった。県、市町村が5000万円ずつ負担する案を軸に調整し、市町村の意向も踏まえて最終決定する。 トリニータのJ1昇格は、〈1〉J2で1、2位になるか、3~6位のプレーオフで最上位になる〈2〉運営会社がJリーグから負債を抱えていない――が条件になっている。14日現在、リーグ5位とプレーオフの出場圏内にいるが、Jリーグから借りた負債のうち3億円が未返済で、昇格には、リーグ戦最終日の30日前(10月12日)までに返済を終えなければならない。 このため運営会社の「大分フットボールクラブ」は、行政、経済界、県民の3者に各1億円の寄付を要請する方針を打ち出した。県民に対しては5月から募金を始めたところ、13日現在、約9800万
「ようやく念願が叶(かな)った。本当に長かったなぁ……」。サガン鳥栖が最終戦でJ1昇格を決めた3日のベストアメニティスタジアム。チームの誘致活動から携わってきた鳥栖市本通町、建設業川口信弘さん(45)は、スタンドの3階席から、選手とサポーターが一緒になって喜びを分かち合う光景をしばらく見つめていた。 1991年、サガンの前身であるPJMフューチャーズ(のちに鳥栖フューチャーズに変更)の誘致話が持ち上がった。地元の青年会議所(JC)に所属していた川口さんは、佐賀市で行われたフューチャーズの試合を初めて観戦。音楽のライブのようなスタジアムの雰囲気を目の当たりにして、「サッカーはまちづくりに生かせる」と実感した。自治体やJCなどでつくる「プロサッカーホームタウン誘致委員会」のメンバーとなり、活動を開始。元々、埼玉県や静岡県などとは違って「サッカー文化」のない鳥栖エリアで、「夢のJリーグを呼ぼう」
海兵隊員とバーべキューを楽しむ子どもたち(8日午後6時51分、沖縄県の米軍キャンプ瑞慶覧で)=松浦篤撮影 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市の離島・大島の小中学生25人が8日、沖縄県の米軍キャンプ瑞慶覧(ずけらん)(北谷(ちゃたん)町など)を訪れ、大島の復旧にあたった米海兵隊員らと再会し、バーベキューを楽しんだ。 同島は、地震で港湾が壊滅し船の接岸ができず、復旧が難航。沖縄を拠点とし、港がなくても上陸できる特殊艇を持つ第31海兵遠征部隊が4月、「TOMODACHI(トモダチ)作戦」の一環として、重機でがれきを撤去するなどした。 子供たちは米海兵隊から招待され、6日、沖縄に到着。4日間の日程で、隊員宅や隊舎にホームステイし、隊員やその家族らと交流を深めている。キャンプ瑞慶覧では、米海兵隊のピーター・タレリ少将が「子供たちが来てくれたことは、私の任務の中で最高の成果だ」と歓迎。大島小6年、小
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