先日対談した雨宮処凜さんについてオーマイニュースでこういう批判が書かれているようです。 http://www.ohmynews.co.jp/news/20071220/18764 >雨宮処凛の「転向」が批判されない理由 >いまでこそ「プレカリアートのマリア」だとか「ワープアのミューズ」だとか「ネットカフェ難民の女神」だとか呼称され、停滞気味だった左派の救世主的存在になっているけれども、以前は、維新赤誠塾なる民族派パンクバンドをやっていたバリバリの右翼だった。 つまり、転向者なのだ。 よくある左から右へ、ではなく、右から左へ、ではあるが、転向は転向だ。一昔前なら、「転向」といえば、物書き生命を左右しかねないほどの重大問題だったはずだが、こと雨宮に関しては、そのことであまり批判を受けていないようだ。なぜなのだろう? 私は、右翼時代の雨宮さんについては全然知らないのですが、この批評者が使っている