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*sociologyに関するklovのブックマーク (201)

  • 共感する距離

    秋学期の試験も終わり、成績評価を提出すると大学職員は、一年の最大の山場である入試を前に慌ただしくなってくる。と同時に教員も、休みの間に自分の研究ができればいいのだけど、期末に向けた予算処理や、次年度の講義準備でいっぱいいっぱいというのが現実だ。僕も今年度からは継続的に講義を持つことが可能になったので、これまで以上に試験の答案の分析に力を入れている。といってもテキストマイニングをするとか、そんな高度な話ではないのだけど。 そもそも大学の講義というものは毎年生徒が入れ替わるし、これまでは教える講義も1、2年で変わっていたので、そうした分析は、教員の側にとって「こういう教え方をすると、こう誤解されるおそれがある」とか、「どこの大学に行っても、こういう答案が出てくる傾向にある」とか、そういう勘どころをつかむために行うものになる。たとえば講義で著作権について話をすると、そのテーマを選んできた答案では

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    私、餡子のためなら逆立ちだってしますよ。 こじらせている。 べたいと思ったらべたいのである。 ここが北カリフォルニアの片田舎であろうと、私があんみつがべたいと思えば、あんみつは今すぐ作ってべなくてはいけないものになる。いしん坊の思考は凄まじい。 子供が観ていたアニメで、赤ちゃんが空の…

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  • 社会科学の禁欲と跳躍 - on the ground

    書の実証性に疑問を挟む研究者がいるかもしれない。大胆な分析と解釈を含むからである。きわどいいい方をすれば、厳密な分析が意義深い知見を生むとは限らない。どのような「事実」を発見しようとし、それをどんな「文脈」にのせて議論するか。この社会を生きる者として持っているはずの切迫した課題意識と規範的判断がなければ社会科学者は使命を果たすことができない。私は、その重要性を表現したものとして書を読む。 asahi.com(朝日新聞社):学力と階層―教育の綻(ほころ)びをどう修正するか 著 苅谷剛彦 - 書評 - BOOK(評者 耳塚寛明) 微妙ですね。ここには、いわゆる「厳密派」の罠(cf.水俣)に陥ることを避けながら、いかにしてヴェーバー的「価値自由」の要請に応え続けるかという容易でない課題が横たわっています。価値自由とは価値に中立であれということではありませんが、事実と価値の問題――正確には存在

    社会科学の禁欲と跳躍 - on the ground
  • 3月7日シンポジウム「場所の力――歩きながら考える」公式案内。 - ザ大衆食つまみぐい

    気どるな、力強くめしをくえ!「大衆堂の詩人」といわれた、後期高齢ステージ4癌男、エンテツこと遠藤哲夫のブログ。 主催者から案内が届いたので転載します。 おれって、ナニゴトも誘いがあると後先考えずにホイホイのってしまう。おもしろそうなら、いいじゃないかと。んな、わけで、「歩きながら考える」どころか、もう走り出してから見たら、主催には大阪市立大学都市研究プラザの名前があるわ、司会者もパネラーのみなさんも30歳代の若い元気で気鋭なみなさんばかり。そんなところへ、前期高齢者入りしたトシの貧乏くさいおれが、恥をかきに登場しますんで、どーか、みなさん、笑いに来て楽しんでください。こころの散歩ですね。終わったら、酒も飲みましょう。そっちを楽しみに参加します。 それから、会場の高原記念館のようにオッシャレなチラシもできて、pdfファイルが送られてきたので、ゼヒご利用ください。カラーでパネラーの顔写真入り

    3月7日シンポジウム「場所の力――歩きながら考える」公式案内。 - ザ大衆食つまみぐい
  • のぴたん。

  • 排除的文体、卓越化の戦略、リベラル・エリートのアイロニー | Theoretical Sociology

    エスピン・アンデルセンの文章を読んでいて思ったのだが、ヨーロッパ系の知識人の文体には、独特の回りくどさがある。あーでもない、こーでもない、とぐるぐるいろいろなトピックを渉猟していって、何となく結論にたどり着くというタイプの文体である。「え、もう結論? どうしてこの文からこの結論になるの? よくわからん。」と思うのは私だけではあるまい。文章を書くのがへたくそなだけだろう、と思うときもあるのだが、おそらくこれは「はっきりしたことは分からないけれども、いろいろ考えてみるに、こんな感じかな?」みたいな議論をするときに好都合な文体なのである。論証にはなっていない。でも何となくこう思わない? というわけである。こんな文章をまじめに読む価値があるのだろうか。これに対してAmerican Journal of SociologyやAmerican Sociological Reviewに掲載されている論

    排除的文体、卓越化の戦略、リベラル・エリートのアイロニー | Theoretical Sociology
  • THE MIDNIGHT SEMINAR ON THE WEB

    THE MIDNIGHT SEMINAR ON THE WEB

    klov
    klov 2008/11/27
    「リアリティを描こうとする人間の言葉がリアリティの一部」まさに。
  • 独断と偏見で選ぶ日本社会学会ベスト報告 "Yes We Can": Public Sociology in the Age of Obama | Theoretical Sociology

    日曜日と月曜日は日社会学会大会に行ってきた。例によって、私が聞いた報告の中から、独断と偏見でベスト報告を選ぼう。今回は、 Michael Burawoy, "Yes We Can": Public Sociology in the Age of Obama である。小熊英二さんや有田伸さんの話も面白かったが、ジェスチャーが面白かったので、独断と偏見で招待講演者であった Burawoy を推そう。 Burawoyはアメリカでは珍しい(?)左翼社会学者である。とはいえ、アメリカ社会学会会長、世界社会学会副会長を歴任しているわけで、決して傍流の社会学者ではなく、主流派のアメリカ社会学の一翼をなしていると見るべきだろう。さて、Burawoyは社会学(者)を4つの理念型に分ける。 Table 1 The Division of Sociological Labor (報告資料より転載) Acade

    独断と偏見で選ぶ日本社会学会ベスト報告 "Yes We Can": Public Sociology in the Age of Obama | Theoretical Sociology
  • 「生殖」とネーション - Living, Loving, Thinking, Again

    東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス) 作者: 東浩紀,北田暁大出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2007/01/27メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 14人 クリック: 130回この商品を含むブログ (253件) を見る 東浩紀、北田暁大『東京から考える』というについては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081031/1225480601やhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081106/1225988138でも言及した。 さて、その中で、東は「ロックの社会契約論は、ヒュームによって「慣習(コンベンション)」の点から批判されている」という(p.241)。それを踏まえて、 (前略)コンベンションの根拠は何かといったら、最終的に世代、つまり生殖の問題だと思うんです。もし人間が遺伝子のスープ

    「生殖」とネーション - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「素手で集団トイレ掃除運動」の政治性について - 荻上式BLOG

    chiki:「素手でトイレ掃除」「みんなでトイレ掃除」に関する記事が、最近また目立ってるので、その件についてtomomiさんとチャットしてみようのコーナー。 「便教会」 教師も生徒もトイレで向き合う 素手・素足で2時間ゴシゴシ… 「1人1便器。2時間集中して、いい汗を!」。大阪府立阿倍野高校(大阪市阿倍野区)で開かれた「第23回大阪便教会(べんきょうかい)」。小中高の教師、高校生、大学生ら参加者約70人がスポンジと網目状のサンドペーパーを手に、便器磨きに取りかかる。裃(かみしも)を脱ぎ捨て、上から目線ではなく教師が子供と向き合う一歩にと、愛知県の1人の高校教諭が立ち上げた「便教会」がいま、全国的な広がりを見せている。(…) 耳を疑ったのは、「掃除は素手、素足で」というかけ声。大阪便教会の母体で「西宮掃除に学ぶ会」(兵庫県西宮市)代表の佐藤弘一さんの言葉だ。記者の驚きをよそに2、3回目の参加

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  • 戦争は「魅力的」か?(上野千鶴子さん)

    表題の文章はオルタ2006年12月号に掲載されたもの。連載されていた「わたしの平和論」の最終回でもある。棚に立てるのではなく、の上に無造作に数冊載っていたオルタの中でも一番上に乗っていたものをぱらっとめくって目にとまった。面白い。読んだ当時も感じていたはずなんだけど。

  • 国道沿いと秋葉原は紙一重――コスプレ暴走族や痛車から思うこと - シロクマの屑籠

  • Expired

    Expired:掲載期限切れです この記事は,産経デジタルとの契約の掲載期限(6ヶ月間)を過ぎましたのでサーバから削除しました。 このページは20秒後にNews トップページに自動的に切り替わります。

  • 「疎外」と「包摂」の情報思想:荻上式!電網テレビ批評 | みんなのテレビ:So-net blog

    ウェブ上のコミュニティや、インターネット技術を用いたコミュニケーション管理、あるいはウェブ・コンテンツ周辺に作られる共同体などの誕生は、多くの人に自由と、利益と、浪費と、困難を同時にもたらしている。情報技術は、これまでの社会にあった問題解決に向けて提供されたものであるが、同時に同量の問題群を新たに生んでいる。両者の関係はトレードオフでありながら、不可逆だ。だから「情報技術を必要とする社会」を抽象化して捉え、長期的な議論に耐えられる言説の下地を作るために、これまでも多くの「思想」(「サイバーリベラリズム」「サイバーリバタリアン」といったような形も含め)が語られてきた。 日においても、さまざまな仕方で「情報社会」を捉える「思想」が語られている。ただし、若干気になることは、その言説が「どこから」繰り出されているかという点だ。たとえば最近頻出するキーワードに「設計」というものがある。最適なアー

    klov
    klov 2008/10/14
    ヤングの新刊に漂う「政治的な政治性の無さ」モードは、しかしどこまで有効なのか気になる。
  • 政治的・法的にばかりでなく、臨床的な趣旨をもった《当事者化-論》 and back (メモ) - Freezing Point

    当事者論を標榜しながら私を非難してきた人たちと私との決定的違いは、「自分自身を対象化した当事者論になっているかどうか」だ。 相手を非難するのに自分を100%の正義に置ける幼児性に私は激怒している*1。 論じている自分を、相手との関係に置いて対象化していない。 「論じる側」=「見る側」が100%正義だという暴力。 論じているお前はどこにいるんだ。 生身の個人は、神ではない。 自分は常に間違いながら生きている。 何がどう間違っているかを100%決定できる地点を私は認めない(それが無神論だ)。 自分は弱者だから100%正しいとか、弱者の権利を代表しているから100%正しいとか言える馬鹿は、論じている自分が神だと考えている。 その絶対化=信仰を押しつける傲慢の暴力*2。 私は代わりに、場所としての自分を分節する作業を、そのプロセスにおいて絶対化している。 つねに新しく、ゼロから組み直される再検証。

    政治的・法的にばかりでなく、臨床的な趣旨をもった《当事者化-論》 and back (メモ) - Freezing Point
  • 培地の変容 - (とう)きょうとで私も考えた。――私家版――

    「この社会は、僕/私には、生きにくい」と感じるとき、若者は、どうするか。 過去をさかのぼれば、1968-69年の東大安田講堂占拠事件を中心とした、全共闘が挙げられる。今回、「日社会の多角的検討」を標榜するシノドスが、立教大学の場を借りて試みたシンポジウム、 「1968+40  全共闘もシラケも知らない若者たちへ」は、フランス文学者である渡邊一民、文芸評論家の絓秀実の言を定点としつつ、社会学の若手研究者3人が2008年現在の若者たちの立ち位置や現状の打開策を論じようとするものだった。 興味深かったのは、休憩時間に主催者の一人である芹沢一也が会場聴講者から集めた質問「なぜ若者はあばれないのか」に対する、社会哲学者・橋努の応答である。上昇する(=変革する)可能性のない世界での革命的発声は起こりにくいだろう、と橋はいう。60年代の若者があばれられたのは、高度経済成長期の気運を若者たちが顕著に

    培地の変容 - (とう)きょうとで私も考えた。――私家版――
    klov
    klov 2008/09/25
    自分のメモのちょうど抜けていた部分が書かれている。助かる。
  • 「大きな物語の失効」が失わせたものとは - A Road to Code from Sign.

    少しだけ気になったので考えてみる。 「大きな物語が失われたために人々は生きる意味を見出しにくくなってしまった」というストーリーにはもっと率直な疑問を感じる。つまり、「大きな物語のおかげで生きる意味が保証されていた」という状況がそもそもうまくぼくにはイメージできないのだ。たとえば、「大きな物語」として「冷戦構造」が挙げられることがある。そのとき「資主義vs共産主義」のような大きな対立構造が各種の思想や制度を布置づけていた、という話を否定しようとは思わない。しかし、市井のある人物が「冷戦構造のおかげで生きる意味がみつかりました!」と述べているような状況は、ぼくにはまったく想像することができないのだ。 もちろん、政治的な人間であればその種の運動に「アンガージュマン」することで「生きる意味」を 見出すことができたかもしれない。しかし、それは、一部の人間にとってだけのことだったのではないのか?そし

    「大きな物語の失効」が失わせたものとは - A Road to Code from Sign.
  • 責任を語るポストモダン - A Road to Code from Sign.

    なんだか、東・大塚対談を恣意的に解釈しているブログを読んで、あれっ、そんなこと書いてなかったはずだけど、と思ったのでメモ的に引用。 314P 東:そもそもぼくの世代って、NPOや社会企業のはしりの世代でもある。国際大学GLOCOMに所属していたときに、若くして起業したり、国会議員の秘書をしたりして気で社会を変えようと思っているようなひとにたくさん会いました。彼らは善意の塊です。けれども、やはりある意味で危険な人々です。なぜなら、この世界の複雑さに直面していないからです。実際、彼らは、加藤容疑者に共感するニートたちの気持ちを理解できないはずです。「希望はあるんだよ、がんばろうぜ!」とか言って終わりでしょう。しかし、じつはそういう発言こそが暴力なんです。 ぼくはそういう時代環境の中で、むしろ政治的発言、イデオロギー的発言から距離をとることにささやかな良心を見出してきました。だから、前の対談

    責任を語るポストモダン - A Road to Code from Sign.
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  • 【魚拓】asahi.com(朝日新聞社):全社同額入札に市長「なめられた」 業者「これは一揆」 - 社会