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  • なぜ理屈っぽい広告は嫌われてしまうのか。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    長年、外資系広告会社で仕事をしていると、外資系広告会社や外資系広告主が陥りがちな罠もよく見えてきます。外資系(とそれに親和性を持つ日系企業)は、概ねデータ、調査、戦略が好き。要するに理屈っぽいんですね。いい言葉にすれば、論理的とも言えますが、その論理的思考にはひとつのパターンがあって、今回は、新幹線移動中につき、時間がたっぷりあるので、そんな理屈っぽい広告が陥りやすい思考パターンについて「論理的」にねちねちと考えてみたいと思います。 ■それは文学少年の初恋における思考パターンと同じ 子どものときから恋愛小説をよく読んでいて、頭の中では恋愛のいろはをすべて理解している少年がいるとします。その少年が、生まれてはじめてひとりの女性を好きになりました。彼は、考えます。どうしたらうまくいくのか。自分のいいところをアピールしようとします。僕は読書が大好きで、ピアノが上手とか。彼は、自分が他の男性とどの

    なぜ理屈っぽい広告は嫌われてしまうのか。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 広告表現とターゲティング感覚 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告をつくる際に大切なのもののひとつに、ターゲティング感覚があります。と、あります、と書いてしまいましたが、実際にはターゲティング感覚なんて言葉はなくて、私が勝手にそう呼んでいるだけのことなんですが。 ターゲティング感覚というのは、メッセージを投げかける相手を想定する感覚のこと。たとえば、よく、ブログは不特定多数に向けて書け、と言いますよね。これは、私も言ってきました。ウェブに言葉を投げかけているわけだし、それは誰でも読めるわけだから、不特定多数に読まれることを意識せよ、みたいなこと。 でもね、不特定多数を意識せよ、というのは、心の底で意識せよ、ということで、不特定多数に向けては、当はメッセージなんて投げかけられないわけです。メッセージは、メッセージそれ自体にフィルタリング機能が備わっていて、自ずから人を選んでしまうもの。多かれ少なかれ、メッセージを投げかけるときには、そのメッセージを投

    広告表現とターゲティング感覚 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「小さな肯定、小さな支持」を積み重ねる時代へ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    少し前に「不支持が力を持つ時代」というエントリを書きました。昨年7月の参院選のときに書いたものです。私は、こんなことを言ってました。 代案のない否定。 確かに。代案のない否定が集まっても、とりあえずそれ、やめとこ、ということしか決まりません。それでも時間は流れるので、じゃあどうする、と瀬戸際まで追いつめられて、時間切れというカタチでものごとが決まっていく。その積み重ねの総体が時代というものだとすると、こんな不確実なものはないですよね。 多かれ少なかれ、我々を覆っている時代の気分って、そんな感じかな、とも思ったりします。とりあえず今はやめとこ、という気分が、今の停滞をつくっているのかも。 今回の内閣不信任案の件でも、そんなことを思いました。私はあまり政治に言及するタイプではありませんし、政治に詳しくもありません。けれども、なんとなく今回の件が嫌で嫌でしょうがなかったのは、そんな「不支持が力を

    「小さな肯定、小さな支持」を積み重ねる時代へ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • パーセプション・チェンジはコンテキスト・チェンジである - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告コミュニケーションの領域で「パーセプション・チェンジ」という言葉が使われていましたが、最近はあまり聞かなくなってきました。パーセプションというのは、日語で言えば意識とか認識。つまり、パーセプション・チェンジとは、意識や認識を変える、ということ。 こうして日語にしてしまえば簡単なことで、要するに、「あっ、こんな商品がある」と人の意識に刻み込むこと。で、その手法はいろいろ。例えば、CMで商品名を連呼したり、とにかく露出を高めたり、人気タレントを起用したりしても、パーセプション・チェンジはできますし、ネットでいえば、バナーやリスティングの集中出稿でもできます。消極的な意味では、すべての広告はパーセプション・チェンジができます、ということなんですが、積極的な意味では、パーセプション・チェンジは、意識や認知の劇的な転換みたいなニュアンスを持った用語です。 ではなぜ、最近、パーセプション・チェ

    パーセプション・チェンジはコンテキスト・チェンジである - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ko_chan
    ko_chan 2011/04/19
    コンテキストか。一からつくるのはほんとに大変。ゼロからはムリで、すでに有るものを増幅することしかできないんじゃないか。
  • 消費と自由意志、そして、広告 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    いやまあ、予想通りでましたね。11インチのMacBook Air。今使っている、MacBookのブラックの充電池が膨張してしまって、モバイルではちょっと難しくなってきて、バッテリを変えるか、新しいのを買うか迷ってたところでした。ちょうどよかった。買います。 CPUが一世代前だったりして、ちょっと迷いもあるけれど、今あるMacBookよりもコンパクトだし、重さも半分だし、MacBookを家専用にして、Airをモバイル専用にすることで、もったいない感もないし、モバイルだと、まあブラウザが使えて、テキストが打てればいいので、実際は問題ないんですよね。それに、一昔前のモバイルにくらべりゃ、格段に性能いいし。昔、リブレットL2を買った時のような残念感はもうないでしょう。やっぱり、Crusoeはきつかったです。 とまあ、今回は、わりとあっさり「買い!」と決めてしまったわけですが、そのとき、ああ、これが

    消費と自由意志、そして、広告 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「あえて狙わないほうがいい」という時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    消費者が広告を見る目があきらかに変わって来たなあ。 そんなふうに思ったのは、思い返してみると、2000年を少し過ぎてからのような気がします。これまでも、メインストリームではなく、どちらかというと異端的な考え方を好んでしてきたので、それ以前から、なんか新しいやり方は探してはいたけれど、それは、例えば、Saatch & Saatchが提唱していたSMP(Single-minded Propsition)だったり、どちらかというとメッセージ開発の手法的な話が中心だったような気がします。私にとっての90年代は、そんな感じです。 SMP理論は、簡単に言えば、あるブランドがある市場環境に置かれるとき、そのブランドが持つ課題を達成するために必要なのは、つきつめると、たったひとつの短く強いメッセージになるはずだ、という理論で、その成功例としては英国の労働党から保守党へ政権交代を実現した"LABOUR IS

    「あえて狙わないほうがいい」という時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「広告は性格の良い人がやるものではない」について考えてみました。: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    リファラで気付いたのですが、Googleで「広告は性格の良い人がやるものではない」を検索すると、このブログの「「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが」という記事がトップに表示されるようです。ちなみに、当該エントリにはその答えは書かれていません。 それにしても、どういう事情でこんなワードで検索をしたんでしょうね。何か嫌なことでもあったのでしょうか。 若い広告クリエーターで、上司ができる人かつ性格が悪くて、その上司に自分の企画が通らなくて、そのうえ「君、広告向いてないんじゃないの?辞めれば?」みたいなことを言われて、「あのCDむかつく。性格最悪。だいたい広告なんて性格が悪くないとできないんじゃねえ?きっとそうだ。そうに違いない。」みたいなことなんでしょうかねえ。 ともあれ、「広告は性格の良い人がやるものではない」というフレーズは妙に気になります。どうなんでしょうね。そんな気もします

    「広告は性格の良い人がやるものではない」について考えてみました。: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • Twitterをはじめて思うこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    普段からおしゃべりはあまり得意ではないので、あまりつぶやいたりはしていないのですが、それなりに機嫌よくやっています。タイムラインをながめているだけでも楽しいです。なんとなくおだやかな感じ。その感覚は、今までのどのウェブにもなかったもののような気がします。それは、ソーシャルウェブというものの、ひとつの理想のかたちでもあるんでしょうね。 なぜそうなるか、というと、きっとそれはフォローというシステムのなせる技なのでしょう。私は、はじめた段階から、Twitterで最新情報を入手しようとか、あの人のつぶやきを眺めてみたいとか、あの人と話してみたい、というような感じではなかったので、基的にはフォローしていただいた方をフォローしてみる、というだけなんですが、だからこそ、なんとなくおだやかな感じがつくられているんだろうな、と思うんですね。 これは、フォローの仕方によって違う場をつくることもできるというこ

    Twitterをはじめて思うこと - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 人が介在することの意義 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    とあるブログを見ていて、少し気になったこと。 そのブログにはGoogleのAdWordsが貼られていて、見ると、ブログの主張とは真逆の広告が表示されていたんですね。それ自体はとりたてて珍しい現象でもなく、ウェブの商業メディアでさえよく見かけることではあるのですが、でもやっぱり、AdWordsを表示しているそのブログを、広告モデルで運営されているひとつのウェブメディアと考えると、きつい現象ではあるなあ、とは思いました。ブログ主さんも嫌だろうなあ。がっかりだろうなあ。 例えば、ホメオパシーについて批判的な主張のエントリにホメオパシーの広告が表示されていたり。それはいくらなんでもなあ、と少し考え込んでしまいました。 読者である私は、そんな困った広告が配信されてしまうしくみを知っているから何とも思わないということはあるんです。でも、それは比較的ウェブについての知識があるから、というだけなんですよね

    人が介在することの意義 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ko_chan
    ko_chan 2010/03/04
    既存メディアでも起こってたことがウェブ広告で露骨に可視化された感が。
  • 時代の変わり目に僕らの世代ができること - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    まあ、いつの時代だって過渡期と言えば過渡期だし、あまりセンチメンタルに意味付けをしないほうがいいと思いますが、それにしても、私にとってわりと大切なものたちが、次々と話題になっていたりして、少ししんみりしています。 ネット広告費が新聞広告費を抜き(参照)、百貨店がどんどん閉店(参照)していきます。どれもこれも、理屈の上ではなんとなくわかっていて、いずれはそうなるんだろうなということが、経済不調の今、結果として表れただけなのに、やっぱり堪えます。事実というか数字というものの大きさを思い知らされます。 ちょっと自分語りをさせてください。15年ほど前の話です。 私は、CIプランナーからのドロップアウトでコピーライターになり、経験が1年も満たない新米のときに東京に出てきました。大阪では結構有名ななんばシティという駅ビルの仕事をやっていて、その作品を持って東京の広告制作会社を回りました。でも、東京では

    時代の変わり目に僕らの世代ができること - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ko_chan
    ko_chan 2010/02/25
    出版社で「広告が効かなくなった」と皆が言い出した時期に広告つくってたんで、おこがましいかもだけどちょっと共感。
  • 広告は検索結果を腐敗させる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    マイコミ新書「Googleの正体」(牧野武文著)より。 そもそも創業当時のグーグルは、広告を悪とみなしていた。創業時のグーグルにとってもっとも重要だったのは「正確な検索結果を提供する」ことだった。 当時、サーゲイは論文の中で「広告は検索結果を腐敗させる」とすら言い切っていた。これは理にかなった考え方だった。(P141〜142) サーゲイというのは、Googleの創業者の一人である、Sergey Brin技術部門担当社長のこと。 そんな広告嫌いのGoogleが、今や日におけるテレビ広告費の総額を超える2兆円を売り上げる会社になっています。そのGoogleの売り上げのほとんどは広告収入。そんな事実を「言ってることとやってることが違うじゃねえか」言うこともできそうですが、でもまあ、ある程度Googleの広告のしくみや成り立ちをわかっている人から見れば、当然の結果だなあ、という感じでもあると思い

    広告は検索結果を腐敗させる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    はてなブックマークでもたくさんのブックマークを集めていて(参照)、再び話題になっているようなので、久々に「タイプ別性格判断」というものをやってみました。ここ最近の話題の発信源は、このブログのエントリのようですね。 「世の中にはSとNの二種類の人がいる」My Life in MIT Sloan このブログによると、この性格判断に使われている理論は、MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)と言われるもの。ユングの理論の応用だそうです。 MBTI(Myers-Briggs Type Indicator)とは E(Extravert:外向的)かI(Introvert:内向的) S(Sensational:直感的)かN(Intuitive:直観的) T(Thinking:論理的)かF(Feeling:感情的) J(Judgmental:断定的)かP(Perceiving:決

    「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ko_chan
    ko_chan 2010/02/24
    少なくとも省力化にはなるから、こういうのはどんどん利用していけばいいよね。特に日本では血液型診断ともうまく付き合う必要があるような。
  • やっぱり、こういう問題の解決は「広告的」な手法が得意なんだろうな、と思いました。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    まあ、なんともなかったから書けることでもあるのですが、昨日の夜というか、今日の早朝、はじめて119番に電話をかけました。糖尿でインスリンを打っている父の血糖が下がって、痙攣を起こしたんですね。最初は寝言かと思ったのですが、ちょっと変だなと飛び起きてみると、目をむいてわけの分からないことを叫んで大変なことになっていました。 医学的な理屈を知っている人は分かると思うのですが、血中の糖分が足らなくなると、大脳のエネルギー代謝が維持できなくなって、意識がおかしくなり、最終的には意識消失、時間が経てば脳に障害が残る可能性もあります。でも、これは、ブドウ糖の固まりやキャラメル、飴玉などをべさせると、不思議なほどすぐに落ち着きます。ほんと、あっけにとられるくらいすぐに戻ります。 今回は、寝ている間に人が気付かないままに血糖が落ち、しかも、私の発見が遅れたこともありかなり意識がおかしくなっていたという

    やっぱり、こういう問題の解決は「広告的」な手法が得意なんだろうな、と思いました。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    ko_chan
    ko_chan 2010/02/06
    遠慮しろといっても遠慮するなといっても歪んだ受け取られかたは起こりうる。どの方向にどれだけ歪む程度なら社会が受け入れられるか。
  • こういう話を読むと、本能的に構えてしまうのはなぜだろう。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ネットでコピペされ続けている有名な話。ものすごい数のサイトに引用されていますので、これ読んだことがあるわ、という人も多いのではないでしょうか。ハーバード・ビジネス・スクールというところがミソなんでしょうね。皮肉が効いていますよね。 メキシコの田舎町。 海岸に小さなボートが停泊していた。 メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。 その魚はなんとも生きがいい。 それを見たアメリカ旅行者は、 「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。 すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」 と答えた。旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。 おしいなあ」と言うと、 漁師は、自分と自分の家族がべるには これで十分だと言った。 「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」 と旅行者が聞くと、漁師は、 「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。

    こういう話を読むと、本能的に構えてしまうのはなぜだろう。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • NHKオンデマンドの苦戦に思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    朝日新聞によると、開始から1年を迎えるNHKオンデマンドが「今年度の収入は予算で見込んだ額の半分もいかない」とのことらしいです。 NHKの番組コンテンツはお金もかかっているし、相当に質も高いと思うので、このビジネスモデル自体がそもそも成り立たないのではないかという気持ちにもなり、いろいろ考えさせられます。 Macで見られなかったり、ストリーミングだったり、利便性の部分で問題もあるようですが、それが決定的というわけでもないだろうし、成り立たないのであれば成り立たないなりにきちんとした理由を知りたいとは思うんですけどね。でも、あまりうまい理由が思いつきません。 配信されるコンテンツは一度放送されたものだから、理論上は、テレビを持ってさえいれば誰もが無料で見られたものばかりということになります。ハードディスクレコーダーを使えば予約録画が簡単にできるし、その気になれば見たい番組をすべて録画しておく

    NHKオンデマンドの苦戦に思う - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • たかが広告、か? - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告という切り口で時代を見た場合、きっと「たかが広告」の時代なんだと思います。これは、いくら広告が好きだ、広告を愛している、と叫んだところで、どうにもこうにも時代の変化なわけです。かつてあんなに素晴らしかった広告が、今ではこんなありさまなんてこと言って、昔を懐かしんだところで、状況は何にも変わらないですよね。やけ酒はすすむかもしれないけれど。 時代は「たかが広告」。その意味はきっと、メディアが多様化していることによる、広告が主に置かれるマスメディアの地位の低下。こうして私が書いている、ブログをはじめとする個人メディアだってその一部だし、古き良き広告をとことん愛して、新しい広告をつくろうともがく私にしても、その「たかが広告」の時代を進めている張人だったりもするのです。広告、しかも、これまでの所謂オールドメディアと言われるマスメディアを生業としている人が、ブログやらを毛嫌いする人が多いのには

    たかが広告、か? - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ウェブはバカと暇人のもの? - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そんなわきゃねえわねえ。というか、タイトルに釣られまくりの私が言うのもなんですが、そうでもないんじゃないですか、なんて思うわけでして、なんで「ウェブはバカと暇人のもの」と思ってしまうのかというと、ウェブという市場を自分の商売における理想郷だと位置づけるからそう思うわけで、思ったよりもうまくいかないと思うと、市場にいる人のことを民度が低い奴らと思うのは、私がいままでいくつも聞いてきた、日市場から撤退していった外資系広告代理店や外資系企業の捨て台詞と同じわけです。 日人は、当の広告がわからない国民だから。当の広告がわかる国民とは何かというと、欧米の国民であり、当の広告とは、その広告代理店がつくっている広告なわけです。そんな勝手な話、あるかいな、と誰だって思いますよね。そもそも、その国民にわかってもらうためにつくられた映像とか画像とかを広告と言うわけであって、つまり、その広告は広告以下

    ウェブはバカと暇人のもの? - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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