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社会科学に関するmagician-of-posthumanのブックマーク (6)

  • ―  《知》の即興空間  ―  ザフランスキー

    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/08/13
    やけに的確な観察を繰り広げているブロガーだなと思いきや、なんだ専門家か。
  • ニセ科学批判の脱パラドックス化 | 社会学玄論

    ニセ科学批判は、(科学/非科学)という区別に準拠し、対象となる言説や技術を観察する。ところが、そうすると、(科学/非科学)を区別する当の判断基準そのものが科学的であるかどうかという議論が必ず起こる。さらにその基準の基準についても議論が起こり、再度(科学/非科学)の区別を適用せざるを得なくなり、永久にニセ科学批判は不確定となる。このような区別の自己適用から起こるパラドックスを「自己言及のパラドックス」という。簡単に言うと、科学とは何ぞやという問いは、永久に不確定であり、ニセ科学批判は永久に完全に成り立たないということである。真偽、善悪という区別も自己言及のパラドックスに陥り、結局、不毛な議論となる。 ニセ科学批判を脱パラドックス化するためには、同じ区別を遡るのではなく、別の多様な区別で観察する必要がある。例えば、(有用/無用)、(有害/無害)、(合理的/不合理)等という区別から観察してみるの

    ニセ科学批判の脱パラドックス化 | 社会学玄論
    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/08/06
    そういえば私の社会学的な記事に対しても科学・宗教の区別で応戦してくるニセ科学批判論者がいたが、私が自然科学と社会科学を複合して言及した途端ダンマリになったな。てめえの科学的素養はどうした?と問いたい。
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    台北市立動物園と迪化街めぐり 子連れ台湾#5 年越し台湾旅行5日目、レジャーや友人との事を楽しむ日です。前日の様子はこちら www.oukakreuz.com 台北市立動物園へ パンダ館 パンダが見られるレストラン 迪化街へ 林茂森茶行でお茶を購入 小花園で刺繍グッズを購入 黒武士特色老火鍋で夕 台北市立動物園へ 松…

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    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/08/02
    安心していいよ。社会学しか知らない連中は役に立たないから。尤も、宮台先生は他の学問分野でもパーフェクトだろうけどw
  • No Hedge!

    イギリスの哲学者ホワイトヘッドは、「西洋哲学の歴史はプラトンへの膨大な注釈である」と言った。同様に日の怪獣映画歴史は1954年の初代ゴジラに対する膨大なオマージュである。そういう意味で、今回の「シン・ゴジラ」もまた、初代ゴジラに対するオマージュ作品の一つであることに変わりはない。 しかし、「シン・ゴジラ」の質はこれまでのゴジラ映画とダントツに異なる。個人的に今回のゴジラはある種コペルニクス的転回というか、コロンブスのたまごというか、これまでゴジラ作品が新しく公開されるたびに抱いてきた違和感を解消してくれた。「災害としてのゴジラ」の徹底した描写である。 初代ゴジラは水爆の影響を受けて誕生した。日に与えられるゴジラの傷跡は、単なる自然災害を超えた、水爆による「人災」としての意味合いも強かった。一方、それ以降のゴジラ映画、特に他の怪獣が出ないファーストへのオマージュが強い作品は、どうしても

    No Hedge!
    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/08/01
    社会学をやっているせいか、馴染み易いサイト。
  • Thirのノート

    鳴り物入りで登場したパナソニックのスマート家電の評判は、あまりよろしいものではない。なかでもいちいちタッチが必要であることは、インターネット上で酷評されている。行政の問題があることが「スマホでエアコン操作 パナソニック断念の不可思議 (写真=共同) :日経済新聞」にて指摘されているが、記事ではスマートという思想についてフォーカスしたい。 パナソニックのスマート家電シリーズでは、スマートフォン行った設定を家電製品に転送する際、必ず「タッチ」が必要となる。しかしこの「タッチ」なる部分に、我々が家電製品を使う際の、そしてそこから敷衍したところに存在する「開発者側が想定する間違った『便利さ』」が潜んでいるのではないかと思う。 真の「スマート」とは 「スマート家電」等と称した際、その「スマート」という単語はもはやどのような意味を持っているのかよく分からない存在となってしまっている。パナソニック

    Thirのノート
  • 社会学玄論

    この独自の社会哲学思想について分析を加え、今後、この思想が多くの人々にコミュニケートされていき、現代日社会において、社会統合や自我統合の機能を果たすことができるか社会学的に検証していきたい。 さて、訂正可能性の哲学が言わんとすることは、真なる民主主義や平和を実現するためには、既存の社会の否定や修正ではなく、訂正によって可能となるということである。既存の社会の否定は左翼やリベラルの立場であり、既存の社会の修正は右翼や保守主義の立場に対応することになる。このような二つの対立する立場を止揚し、訂正する力のみが持続可能な社会を可能にするというのである。そして、明治維新や戦後の象徴天皇制などは、訂正する力の賜物だと主張している。これまでの日社会の社会改革は、既存の社会体制を全否定する革命ではなく、また単なる伝統の修正でもないというのである。日社会は、革命でもなく、伝統の継承でもなく、訂正する力

    社会学玄論
    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/07/03
    社会学を社会学する自己言及ブログ。社会理論を「概念の遊戯」・「言葉遊び」と短絡してしまうセンス・レスなブロガーには、まずこのブログを読むことをお勧めする。
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