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綱渡り師の落下とアイロニカルな道化師に関するmagician-of-posthumanのブックマーク (2)

  • 人間らしくあることとはなんだろう - novtan別館

    最近の界隈の議論を見たりして思ったこと。 人間の精神を高潔たらしめるためにハードルを上げることはそれに至らない人をどう扱うってことなのかな。逆に「人間だもの」って言って際限なく弱さを肯定することは、人が人らしくあるために考えてきたことをどう扱うってことなんだろうか。 メンタリティーの強さを肯定することと弱さを肯定することは果たして両立するのだろうか。両立し得ないとしたら、人間らしくあるとは一体どっちなんだろう。極論すると、自然に帰る(弱肉強の肯定)とある種の選別(最適化の肯定)に行き着くんじゃないかとも。 そのことに答えを見つけるために色々考えているような気がするんだけど、どうなんだろうね。

    人間らしくあることとはなんだろう - novtan別館
    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/09/05
    「自然に帰る」も「ある種の選択」も、人間学的にはお粗末。ヘルダーやゲーレンの欠陥動物・負担免除論が完全に棄却しているよ。/ごめん猿の時点で既に、の間違いかも。<id:NOV1975さん
  • 世界の広さは、見えない事を知ったときに感じられる - 狐の王国

    どれだけその業を背負う覚悟がある?という記事。 何か大袈裟に書かれてるのでおおごとに見えるかもしれないが、ただのプレゼンイベント開催についての議論だそうだからお気軽に。 1000speakersというイベントについては俺は名前を聞いたことがある程度なんだけども、ちょっと世界の認識についていろいろと間違ってる気がするので少し書き留めておく。 でも西尾君の場合そうじゃないと思う。 単純に誤解してるんだ。 世の中の人のホトンドが自分のように優秀で知的で温厚で、優れた人物になりえると誤解してる。 西尾君は特別な人間でそこに達する人間は少数だ。 西尾君を超える人間はもっと少ない。 どれだけその業を背負う覚悟がある? こういう誤解をしてる人は実に多い。優秀な人間であればあるほど、自分と同じことが他人にもできると信じこんでいる。 ある東京大学の学生が、「ネットで話す理由がわからない。研究室の人たちと話し

    世界の広さは、見えない事を知ったときに感じられる - 狐の王国
    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/08/19
    「<<愛とは何か?創造とは何か?憧憬とは何か?星とは何か?>>――末期的人間はこう尋ねて目をしばたたく。」フリードリッヒ・ニーチェ、吉沢伝三郎、『ニーチェ全集〈9〉ツァラトゥストラ 上』筑摩書房(1993),p27
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