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ブックマーク / yokohoriuchi.hatenadiary.org (29)

  • ミシェル・フーコー「監獄の誕生」 - my bookish life

    Michel Foucault「Discipline and Punish: The Birth of the Prison」 ……、<近代的な>法典の立案もしくは起草、……明確に述べられた普遍的な法典や整理統合された訴訟手続規則をふくむ制度上の大変革と、この身体刑の消滅とを比較した場合、それの重要性は何であろうか、つまり、陪審制度がいたる所で採用され、刑罰の矯正的な根性格が規定され、罰される個々人に応じて懲罰の調子を変えようとする傾向が十九世紀以来たえず強調されている、こうした事態と比較する場合に。……身体刑を課せられる身体、切り刻まれ、手足を切断され、顔面や肩に象徴として烙印を押され、生きたままで、もしくは死体として晒し者になり、見世物にされる、そうした身体は数十年のうちに消滅した……、それはまた、身体への拘束力がゆるむことでもある。……処罰の実施は遠慮深くなっていった。……身体じし

    ミシェル・フーコー「監獄の誕生」 - my bookish life
  • 旦敬介「ライティング・マシーン―ウィリアム・S・バロウズ 」 - my bookish life

    " Love ? What is it ? The most natural painkiller what there is . Love. " William Seward Burroughs 「愛とは何だ?この世で一番自然な痛み止め。愛」(p.141) バロース加算機(現ユニシス・コーポレーション)の御曹司でハーバード卒。ちなみにお兄さんはプリンストン卒。同性愛者。極度の麻薬中毒で、当局からの逃亡先のメキシコや南米やタンジェで、新種のドラッグを探し求める。を”ウィリアム・テルごっこ”で誤って射殺した…しかし学生時代から親交のあったケルアックやギンズバーグと共に、ビート文学の代表格であり、ニルヴァーナらの崇拝を集めた。 という彼のキャリアは模範的な学生生活を送った身にしてみれば相当格好良いのだが(いや、今すぐにでもドロップアウトできるのだが、順調さに対して微塵の未練もないというのは、

    旦敬介「ライティング・マシーン―ウィリアム・S・バロウズ 」 - my bookish life
  • ジョルジョ・アガンベン「思考の潜勢力」 - my bookish life

    Giorgio Agamben「La potenza del pensiero: Saggi e cinferenze」 意味をはっきり知ることのないままに馴染んだ言葉や物語があって、大人になってからその意味するところを聞いた途端、不気味になって使用するのをためらうことがある。たとえば童話とか童謡。わたしの世代はまだ「かごめかごめ」を歌って遊んでいたけれど、あの歌の恐ろしい解釈がいくつもいくつも出てくるのは、童話や童謡といったものが実は残酷さを秘めていると知ったときの恐怖心からだと思う。幼児の遊戯と大人たちの儀礼を的確に比較したのはアガンベンだった。「儀礼は聖なる時間の模倣と繰り返しを行い、神の時空間をいまここにも体現するが、遊戯は、聖なる対象や言葉を用いるけれど、意味と目的は忘却してしまい、神の時空間からは解放されている。」 意味と目的の忘却、これは例えばカフカの「審判(訴訟)」で表現さ

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    murashit
    murashit 2010/06/30
    そういえばカミュは「異邦人」でも「ペスト」でも国家による殺人について書いてた
  • フランツ・カフカ「変身」 - my bookish life

    Frantz Kafka「The Metamorphosis」 さて、十何年ぶりかに読んだカフカだ。彼を紹介する文にある「…実直に務めた労働災害保険協会での日々は、官僚機構の冷酷奇怪な幻像を生む土壌となる…」「人間存在の不条理を主題とするシュルレアリスム風の作品群を残している…」は以前と変わっていないようだ。後ろについてる解説は変わったのかどうか、やっぱりカフカへの入り口はこの短篇「変身」なんだろう、ああ若年の初読者には対してはこのように書かざるを得ないのか、そう思わせる文章がつらねてある。 たしか識者による作者紹介を以前は、あたかも作品への重要な足がかりであるかのように受け取って「変身」を読み始めたものの、何をさして官僚機構なぞと吹聴しているのか意味不明だと感じたのだ。そして不条理というひとことは、説明しにくい事柄をうまく言い繕い繕う格好よい言葉のひとつだった。今は勿論ちがう感慨をもって

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    murashit
    murashit 2010/05/30
  • ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(5)ブルジョワジーの夢」 - my bookish life

    Walter Benjamin「The Archades Project/Das Passagen-Werk」 都会の雨には子どもの頃を夢のように思い起こさせるという、あなどれない魅力がある。しかしそれは、大都会に育った子どもでなければわからない。雨はいたるところ気づかぬようにひっそりと降り続き、日々を灰色にするばかりか、どこもかしこも同じようにしてしまう。そんな日には朝から晩まで同じことをしていられる。例えばチェスをしたりを読んだり喧嘩をしたり。(p.10) 曇り空の日の風景は繊細で美しい、と感じたことがあった。数週間前の午前中、等々力の駅から多摩川の方向へまっすぐにのびる道を、遅刻しないように足早に、ぱらつきはじめた雨が顔にかからないように俯いて、ただひたすら歩いていて、環八との交差点に差しかかったところで足をとめてふと顔を上げた。空一面を覆う厚い雲は、辺り一帯に、細かい光の粒子を拡

    ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(5)ブルジョワジーの夢」 - my bookish life
  • ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(3)都市の遊歩者」 - my bookish life

    Walter Benjamin「The Archades Project/Das Passagen-Werk」 街路はこの遊歩者を遥か遠くに消え去った時間へと連れて行く。遊歩者にとってはどんな街路も急な下り坂なのだ。この坂は彼を下へ下へと連れて行く。母たちのところというわけではなくとも、ある過去へと連れて行く。この過去は、それが彼自身の個人的なそれでないだけにいっそう魅惑的なものとなりうるのだ。にもかかわらず、この過去はつねにある幼年時代の時間のままである。それがしかしよりによって彼自身が生きた人生の幼年時代の時間であるのはどうしてであろうか?アスファルトの上を彼が歩くとその足音が驚くべき反響を引き起こす。タイルの上に降り注ぐガス灯の光は、この二重になった地面の上に不可解な(両義的な)光を投げかけるのだ。(p.69) 神は創世の仕事を果たしたのち、休息した。第七日目のこの神こそは、市民が無

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  • 舞城王太郎「ビッチマグネット」 - my bookish life

    いい家族だな。そしていい青春小説です。 父母姉弟の4人家族で、父が浮気で家を出てしまって完全に家庭崩壊。だけど最後には、父と母は自分たち子供とは別人格で他人、父と父の愛人と母との関係をひとつの恋愛関係だと捉えられるところまで理解しあえてる。父と母が離婚で揉めて、自分たちのことを離婚論争の駒にしかしていないと分かっていても認めてあげてる。血はつながっててもやっぱり他人だと思うのよ家族は、父母がどんな人生をこの先歩むかなんて阻害したくないし、自分たちのことをどのように扱おうとて、親なのになんでそんなことすんの…なんていう不満を抱きたくない。あくまで他人の意志として尊重してあげたい。 弟は家族をただの形式だと捉えてる。理想じゃなく、原則と倫理の話として、「あのさあ、俺らってこの家に住みたいから住んでるんじゃないしお互いのことが好きだから家族になった訳じゃないでしょ?家族とか家って、そういう気持ち

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  • ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論(2)ボードレールのパリ」 - my bookish life

    Walter Benjamin「The Archades Project/Das Passagen-Werk」 ギース論の中の讒言に見られるルソーの対蹠者としてのボードレール。「われわれが必要品と必需品の次元から抜け出て、贅沢と娯楽の次元に入り込むや否や、自然はもはや犯罪を勧めることしかできないのは、われわれの見るとおりである。親殺しや人の風習を創り出したのもこの不謬の自然なのだ。」ボードレール『ロマン派芸術』パリ、100ページ(p.26) ボードレールによれば、自然は犯罪というただ一つの贅沢しか知らない。そこから人工的なものの重要性が生まれる。子供たちは原罪に一番近いという見解を説明するには、あるいはこの考えを使う必要があるかもしれない。子供たちは感情過多で、しかも自然なので、悪行を避けることができないからということだろうか。ボードレールは結局は親殺しのことを考えているのだ。(『ロマン

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  • ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミン・コレクション(3)記憶への旅」 - my bookish life

    Walter Benjamin「One Way Street, Berlin Childhood Around 1900 and Other Writings」 民間の言い伝えのひとつに、夢を朝前の空腹のときに語ってはいけない、というのがある。……この心身状態においては、夢について報告することは由々しき結果をもたらす。なぜなら人間は、半ばはまだ夢の世界と結託しつつ、自分の言葉のなかで、夢の世界を裏切るのであって、この世界からの復讐を覚悟しなければならないのだから。もっと近代風の言い方をすれば、人間は自分自身を裏切るのだ。夢見るナイーヴさの保護からは抜け出していて、そして自分のさまざまな夢に、余裕をもたないまま触れることによって、我が身を晒しものにしてしまう。……(「一方通行路」より「朝室」、p.20) 委員会では、どうやって候補者を判別するのかということがさかんに議論されていた。候補者

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    murashit
    murashit 2009/10/29
  • ヘルタ・ミュラー「狙われたキツネ」 - my bookish life

    Herta Müller「Der Fuchs war damals schon der Jäger」 ある日の午後、にわか雨が上がった後の中庭でのことだった。熱のこもったままの敷石の隙間を黒いアリの行列が這いまわっていた。アディーナは、砂糖水を流し込んだ柔らかい透明な管を敷石の隙間に置いた。アリの行列は管の中に入り込んだ。頭を見せているものもいれば、腹を見せているものもいる。アディーナはマッチをすって管の両端を溶かして輪っかにし、それを首にかけた。そのまま鏡を見にいくと、まるでその首飾りが生きているように見えた。実際には、アリたちは砂糖にくっついたまま窒息死していたのだが。 この首飾りのなかに閉じ込められて初めて、一匹一匹のアリは人間の目にも生きものに見えるのだった。(p.21) 日常のささいな、でも不気味なことから、生活は静かにすべりだす。街の高いビルの屋上に植えられた樹々、その影はナイ

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    murashit 2009/10/18
  • ミシェル・フーコー「言葉と物」 - my bookish life

    Michel Foucault「The Order of Things: An Archaeology of the Human Sciences」 まだ小学生の頃だったと思うが、サバンナに住む野生動物を「偶蹄類・奇蹄類」と分類して紹介しているテレビ番組を、不思議に思いながら眺めていたことがあった。ひづめが偶数個あるか奇数個あるか。単なる外見上の、それもかなり質的でない特徴を指標にして分類しているように見えた。そのような分類をすることに意義があるんだろうか?ひづめが偶数だって奇数だって、機能的にはたいして変わりがないじゃない。そして今、「言葉と物」を読みながら自問する。どうしてわたしは、外見上の特徴は質的でないと思ったんだろう。動物を分類するには、機能を基準にするべきだと思ったのは、何故なんだろうか。水中にいるクジラが魚類ではなく哺乳類だと言われたとき、自分の直感を覆されたにも関わらず

    ミシェル・フーコー「言葉と物」 - my bookish life
    murashit
    murashit 2009/09/28
    そういや「磁力と重力の発見」をよんでいてフーコーのことを思い出していた。
  • クロード・レヴィ=ストロース「悲しき熱帯(2)」 - my bookish life

    Claude Lévi-Strauss「Tristes Tropiques」 一体、馴れ親しんだ環境や友達や習慣を棄て、こんなにも大きな経費と努力を払い、健康まで危うくした挙句の結果というのは、たったこれだけのことなのだろうか?調査者が一緒に居ることを許してもらっている一ダースほどの、まもなく死滅する人たちは、虱を取り合ったり眠ったりしてほとんどの時を過ごしているのだが、彼の仕事の成否はこの人たちの気紛れ次第という訳なのだ。…………私もかつてそうだったように、政治に関心をもっていた連中はもう議員で、やがて大臣というところだった。そして私はといえば、僻地を走り回り、人類の残り滓のようなものを追い求めているのだ。…………私の決定は、どのみち、私が次第にそこから離れて生きることになったはずの、私の属していた社会集団との深い違和を表わしていたのだろうか?奇妙な逆説だが、私の冒険生活は、一つの新しい

    クロード・レヴィ=ストロース「悲しき熱帯(2)」 - my bookish life
  • 斎藤環「戦闘美少女の精神分析」 - my bookish life

    テレビアニメのシリーズが切り替わる時期に、次の放映予定アニメを一覧したウェブサイトをチェックすることがある。Gigazineとか。一望すると、いま製作されているアニメの傾向がわかるのでおもしろい。いつのシーズンだったか忘れたが、空から女の子が降ってくるという設定ばかりがずらりと並んだときがあって、苦笑してしまった。斎藤曰く「同居系」、異少女が平凡な日常生活に闖入してくるストーリーのことで、元祖は「うる星やつら」、最近だと…たくさんありすぎるのだが…「To LOVEる」。「To LOVEる」は女性の身体のデフォルメ表現が、解剖学的にかなりナチュラルで巧いので好感を持っているのだが(そうは言っても1話見るのがやっと)、他のかなり多くのアニメについては、もうイメージ表現についていけないという自覚がある。同じく女性の身体のデフォルメでも、ボール2つを胸部にはりつけてセクシーさを意味させるというのは

    斎藤環「戦闘美少女の精神分析」 - my bookish life
    murashit
    murashit 2009/09/08
    あんま興味なかったけど一気に欲しくなった
  • 杉浦勉「霊と女たち」 - my bookish life

    スピリチュアルなんて言うといかんせん胡散臭いし、フェミニズムなんてのもついつい敬遠してしまう。それなのにこの「霊と女たち」、書店帰りに立ち寄った日曜のSTARBUCKS COFFEEで、ワンシッティングで読了してしまった。面白いなあ。異端審問とか伝奇とかおどろおどろしい歴史をあつかっているから、博物誌や民族誌をひもとくときについ感じてしまうエキゾチックなものに対する好奇心を満たしてくれて、そうでありながら、分析にはフーコーやイリガライら西洋哲学のフレームを使っているから、論理的なことこの上ない。 書は、独立性の高い12の章で構成されている。共通しているのは、男性中心の旧来の社会体制のなかで、女性がうみだしていた相補的な体制の、成立のメカニズムと役割を、スピリチュアリティとセクシャリティを使って論じていること。男根中心主義=ロゴス中心主義というのは、ことばと論理によって明快に説明し尽くせる

    杉浦勉「霊と女たち」 - my bookish life
  • クロード・レヴィ=ストロース「悲しき熱帯(1)」 - my bookish life

    Claude Lévi-Strauss「Tristes Tropiques」 「私は旅や探検家が嫌いだ。……」 この手記の筆者が冒険も旅行も好きではなく、世界中のあちこちで外交的に振る舞うということが性に合わない人間だ、というのは読んでいれば誰もが理解するところだ。彼に似合うのは、ひとつの場所にとどまり、静かに思索を重ね、知性ある友人と語らい、を読み、孤独に研究を積み重ねること。それなのに彼は、見知らぬ世界へ旅立つことをいとわなかった。自分の思考様式が、常に未知のものを摂取することによって発展していく性質であることを見極めて、それまではさほど興味もなかった人類学の実地調査へと身を投じた。哲学をおさめ法学部に在籍し、いろいろな探求対象への俊巡を経ているうちに、早々と成果をおさめつつあったのにも関わらず。「悲しき熱帯」は、知的探求そのものの性質や意義に思い迷いながらも20世紀を生きた、あるひ

    クロード・レヴィ=ストロース「悲しき熱帯(1)」 - my bookish life
    murashit
    murashit 2009/09/04
    ある種の誠実さとしてのレヴィ=ストロースせんせの逡巡ってのはすごく同意する…
  • 田中純「都市の詩学」 - my bookish life

    暗闇でつぶやくように喋る声と、スクリーンに投映されるいくつものイメージ。今はもう取り壊された大学図書館の講堂で、結局、学期の最後まで講義に通いつづけた数人の中に、私は含まれていた。期末評定の対策を質問してきた見知らぬ受講仲間に答えたとおり、あの出来の良すぎるハンドアウトを見れば講義内容はだいたい把握できるのに、律儀に毎回通いつづけたのはやはり、田中純の築いた講義空間が好きだったんだろう。 当時は飛ぶ鳥を落とす勢いでMVRDVというオランダの若手建築家集団が建築メディアに露出を強めていた。オランダの人工的な国土や彼らの前世代の同国人レム・クールハースがHarvard GSDでおこなっていたアーバンリサーチの手法も含め、学生たちは、データ至上主義の都市分析に熱狂していたと思う。それに同調しながらも一方でわたしは、他大の仲間たちと一緒に、23区内を泥臭くもフィールドワークをしていたことがあった。

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  • クロード・レヴィ=ストロース「野生の思考」 - my bookish life

    Claude Lévi-Strauss「The Savage Mind」 フランス語の原題は「La pensée sauvage」、penséeは草花のパンジーと思惟思考の両方を意味するのだそうだ。このがはじめて出版された1962年当時はまだ、オーストラリアやアメリカの先住民族に対する視線には偏見が多く、彼らは「野蛮な思考」しか持ち合わせていないと思われていた。しかしレヴィ=ストロースは、まだ品種改良を受けずにいて園芸品種となる前の「野生のパンジー」のようなもの、西欧文明的な「栽培の思考/La pensée cultivée」ではなく「野生の思考」を彼らは持っていると考えた。そして彼は、栽培種が野生種を駆逐してしまうことを恐れていた。 書では、主にオーストラリア先住民族に見られる慣習や儀式が題材に選ばれている。自然と人間のそれぞれの図式の相関性を明らかにして、それを根拠にすれば、一見風

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    murashit
    murashit 2009/08/25
  • J.M.クッツェー「敵あるいはフォー」 - my bookish life

    J.M.Coetzee「FOE」 スーザン・バートンという名の英国人女性が、未開の島地に流れ着く。彼女は、連れ去られた娘を追ってブラジルを捜索したものの手掛かりがつかめず、2年振りの帰国を果たすためにリスボンに向けて航海中だった。ところがその船が乗組員に乗っ取られたのだ。島ではロビンソン・クルーソーという名の初老の白人の男と、彼がフライデイと名をつけた黒人の手下が自活していた。 という具合にわかりやすい目印をほどこされているので、ダニエル・デフォー(名はフォー)/Daniel Defoe「ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険/The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoe」をモティーフにした小説であることは一目瞭然だ。また(訳者あとがきに指摘がある通り)、同作者「ロクサーナ/Roxana」をも踏まえ

    J.M.クッツェー「敵あるいはフォー」 - my bookish life
  • W.G.ゼーバルト「土星の環」 - my bookish life

    Winfried Georg Sebald「The Rings of Saturn」 ……私たちは荒寥とした音もないこの八月について話した。何週間も鳥の影ひとつ見えない、for weeks there is not a bird to be seen, とマイケルが言った。なんだか世界ががらんどうになってしまったみたいだ。It is as if everything was somehow hollowed out. すべてが凋落の一歩手前にあって、雑草だけがあいかわらず伸びさかっている、巻きつき植物は灌木を絞め殺し、蕁麻の黄色い根はいよいよ地中にはびこり、牛蒡は伸びて人間の頭ひとつ越え、褐色腐れとダニが蔓延し、そればかりか、言葉や文章をやっとの思いで連ねた紙まで、うどん粉病にかかったような手触りがする。……もしかしたらわれわれみんな、自分の作品を築いたら築いた分だけ、現実を俯瞰できなくな

    W.G.ゼーバルト「土星の環」 - my bookish life
    murashit
    murashit 2009/07/06
    (ゼーバルトがきになってしかたがないのでこんど買う)
  • W.G.ゼーバルト「移民たち」 - my bookish life

    Winfried Georg Sebald「The Emigrants」 才気煥発と自分の考えをまくしたてる訳でもないし、派手でわかりやすい業績をあげた訳でもない。それでもなぜか友人たちの間で、その発言にとりわけ重きをおかれるような人がいる。ゼーバルト「アウステルリッツ」を褒め薦めたのはまさにそういう類いの人だった。彼ら2人は揃って物静かで、数人で集まって会話していても、自らが話題を提供することは少ない。ただ、自分の知っている限りのことを話す人たち──もちろん時には難解にもなる──の言葉に聞き入り、それら一つ一つに対して、的確な返答を積み上げていく。相手の提供した話題について常に既に知っている、彼らの知識の深さはなかなか伺い知ることができない。思慮深い人たち、思考のすべてを表面に出さない人たち……そのような彼らの姿は、どこか、この小説で語られる4人の気質を思わせる。そして、その人々の生涯を

    W.G.ゼーバルト「移民たち」 - my bookish life