タグ

2014年7月1日のブックマーク (6件)

  • 鎌倉市役所、生活保護窓口を封鎖する「水際作戦」 - NPO法人POSSE(ポッセ) blog

    1,はじめに 鎌倉市で新たな「水際作戦」が継続的に行われていることがわかりました。生活保護窓口を棚で塞ぎ、案内も出さずに生活保護窓口がどこにあるかがわからないようにするものです。写真は、POSSEスタッフが6月27日に撮影した現在の鎌倉市役所の様子です。 2,鎌倉市役所の「水際作戦」 ◯物理的に相談窓口を塞ぐ Aさん(50代・男性)は、病気を抱えて働くことができず、所持金が乏しくなってしまったため、生活保護の申請をするために鎌倉市役所を訪れました。しかし、市役所の生活保護窓口が写真のように棚で埋まっていたため、ここでは相談を受け付けていないのだと思い、帰宅を余儀なくされました。 ◯嘘をついて追い返す職員 帰宅後、申請窓口を調べなおしたAさんは、やはり受付が鎌倉市役所にあることを知り、後日改めて役所を訪問しました。 隣の窓口で生活保護の申請に来た旨を告げると、職員は開口一番「何回目?」と聞い

    鎌倉市役所、生活保護窓口を封鎖する「水際作戦」 - NPO法人POSSE(ポッセ) blog
    murashit
    murashit 2014/07/01
    厳しみがある
  • POS:ウイルスまん延 レジと一体、カード情報危険に - 毎日新聞

    murashit
    murashit 2014/07/01
    こういうの専用線じゃなかったのか……
  • ブログをノベルゲーム風に表示する - 日直地獄

    ノベルゲーム風に日記を書いてみたいと思ったことはないでしょうか。 書けたら面白いかもと思うけれども、特にそんな需要は無いんじゃない?くらいでしょうか。 私もそう思います。 とはいえ、実際に見てみないと評価できない、と思ったので作りました 機能紹介 テキストの表示 このように一文字毎に表示されます テキストのスキップ 文字送り中にマウスをクリックすると、パラグラフ全体が表示されます 背景画像の設定 文章中にimgタグがあると、自動でbackground-imageに設定されます フルスクリーン表示モード フルスクリーンで表示することが出来ます。人の日記をフルスクリーンで読みたいという需要はあるでしょうか ブラウザで可能な表現が可能! HTML読み込んでいるだけなのでだいたいなんでもできるはず!! やったね!!! 以上です。おわり。ところで、完成して色々な文章で試していたら、読みやすいのでは?

    ブログをノベルゲーム風に表示する - 日直地獄
    murashit
    murashit 2014/07/01
    めっちゃ良い
  • TOPPAN株式会社 | 凸版文久体

    ここに入力したテキストで下のタイトル文を書き換えることができます。 凸版文久明朝 R[Pr6/Pr6N] 目にやさしく、心にひびく。凸版文久体ファミリー 文用である凸版文久明朝は、縦組みの読みやすさを第一に考えて作られました。凸版文久体ファミリーの中でもっとも代表的な書体で、戦前から受け継いできた凸版明朝体をベースに、現代に合うように明るく平明に磨きあげています。 現代のデジタルフォントに多く見られる文字の大きさやディテールを画一的に揃えるデザイン傾向と異なり、文字がもつ来の形を活かした抑揚のあるデザインで、読むリズムを演出するように設計しています。 スクリーンメディアでの表示用としての利用も配慮されており、ディスプレイのバックライトなどで文字が細くならないように文字の太さが調整されています。 TOPPAN株式会社の書体は小さな文字でもよみやすくはっきりした形が特徴です。線がはなれてい

    murashit
    murashit 2014/07/01
    プロジェクトメンバーすげえな
  • ドメインパーキング

    anipla.net

    ドメインパーキング
    murashit
    murashit 2014/07/01
    実況するな、アニメを観ろ
  • The Red Diptych 破壊と変容――大江健三郎『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』

    大江健三郎という作家は、個々の作品を評価することと、作家としての全体像の評価が必ずしも一致しない……そんなタイプの作家であると思う。  それはなぜかと言えば、その作家生活の過程で小説そのものに対する原理的な検証を積み重ね続けた結果、作風が変遷し続けているからだ。まったく、これほどまでに、文体の水準からして根的に作風が変わり続ける作家というのも珍しい。何も予備知識のない状態で最初期の小説と最近の小説を読み比べてみたならば、同一人物の作品とわかる人はほとんどいないのではないかとすら思える。  だから、大江健三郎の場合、「ある特定の大江作品」を評価することと、「大江健三郎という作家」を評価することとは、必ずしも、うまくかみ合うものではない。そこには、尋常の作家では考えられないような、巨大な乖離がある。……例えば、『万延元年のフットボール』は、極めて優れた作品である。それは、それが書かれた時点で

    murashit
    murashit 2014/07/01