前回の記事では川島四郎かわしましろうという日本陸軍で軍用糧食の研究をしていた職業軍人の栄養学者が、戦後の1971年前後に小谷正一こたにまさかずという当時マスコミに太いパイプを持っていた人物との偶然の出会いによって新聞やテレビなどで発言する機会を得て、その時にしゃべった根拠の曖昧な主張が日本人にカルシウム不足がイライラの原因になるという迷信を植え付けたのだ、という経緯をご説明しました。まだ下のリンク先の記事を読んでいない方は是非ご一読をいただければ幸いです。 1972年以後の川島四郎の活躍1972年の毎日新聞の全12回のインタビュー記事を皮切りに川島四郎は栄養学の権威として人気を博していきます。真っ先に考えられる人気の秘訣は話のネタが豊富で文章もうまくて面白かったからでしょう。昭和の大プロデューサー小谷正一の人を見る目は伊達ではありません。また、教えていた大学が夏休みに入ると毎年アフリカに研
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