日本航空123便の墜落事故 29年目の真実 乗員乗客520名が犠牲になられた日本航空123便の墜落事故から、本日(8月12日)でちょうど29年が経過しました。 1985年8月12日の18時12分に羽田空港を飛び立った日本航空・伊丹空港行きジャンボジェット機は、18時24分に相模湾上空で突然に垂直尾翼が吹き飛び、その衝撃ですべての油圧系統が破損して操縦不可能となりました。機長らの必死の努力も実らず123便は18時54分に群馬県の御巣鷹山に激突し、生存者はわずか4名でした。 改めて考えても「絶対におかしい」と思うところがいくつかあります。 まず運輸省航空事故調査委員会は、機体後部にある圧力隔壁が金属疲労による亀裂で強度が低下し、機内の圧力に耐え切れなくなって損壊したため機内の空気が機体後部に急激に流れ、その衝撃で垂直尾翼を損壊させたと結論づけています。 さらに事故機が1987年に「しりもち事故
![日本航空123便の墜落事故 29年目の真実 | 闇株新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c2bf6a031e0ac8e25f484e0b709dd84efaf89d9b/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fblog-imgs-59.fc2.com%2Fy%2Fa%2Fm%2Fyamikabu%2Flogo.png)