・・・ここにトレイルランニングの虚構性は暴かれず、永続するわけであるが、私のような醒めた第三者からすれば、登山の本流からは異端で、大会依存性の強いトレイルランニングのブームは、宣伝広告によりシナリオ通りに作られた虚構性の強い世界であると認識される。(しかし、それに参加している競技者たちは、現実を直視しようとせず、仲間とともに住み心地のよい仮想現実に安住することを好むのである。彼らにとって、私のようにものを語ることは、トレイル仲間への裏切りであり、レース仲間から白い目で見られることを覚悟しなければならない。彼らは一種のカルトなのである。) Ⅰ 異端性と大会への依存性 トレイルランという「やり方」が登山の一方法として一般的な通用性を備えているのならば、そういう「やり方」で、日本全国の山々を登れるわけであり、逆説的に言うならば、そういうやり方がわが国の登山の歴史において戦中、戦後の時代から既に試