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ブックマーク / subeight.wordpress.com (2)

  • 甲 武 相 山 の 旅

    あの頃の古い車で、砂埃りけって、 走り出そう、太陽の町へ、 ラジオのボリュームあげて、人目気にして、 昔みたいに 話が途切れたら、キスして ZARD  見つめていたいね、 ここを開設したのが、2008年の7月25日だから、明日で2周年になります。ひとつの区切りとして、これまで私が開設しては廃絶してしまった幾つかのWebSiteのことをなんかを振り返っておきます。 自宅にインターネットの環境が整ったのが、2000年の夏の話、その頃から主に地元奥多摩の登山関連のWebSiteをちょくちょく覗かせていただき、自分でも、簡単な(というか、「粗末な」)・・有料の画像掲示板を繋ぎ合わせたような簡易ホームページを作っていました。その頃作ったお粗末WebSiteの名前で思い出すのが、「奥秩父通信」であり、「牛王院平にて、」である。内容的には、当時は、藪尾根ルートの紹介がメインであったように覚えている。また

    甲 武 相 山 の 旅
    oriono
    oriono 2010/12/14
    山板のブロガー滑落死ってこの方だったのか。
  • ☆ トレイルランニングの虚構性とトレイルランニング第二スポーツ論

    ・・・ここにトレイルランニングの虚構性は暴かれず、永続するわけであるが、私のような醒めた第三者からすれば、登山の流からは異端で、大会依存性の強いトレイルランニングのブームは、宣伝広告によりシナリオ通りに作られた虚構性の強い世界であると認識される。(しかし、それに参加している競技者たちは、現実を直視しようとせず、仲間とともに住み心地のよい仮想現実に安住することを好むのである。彼らにとって、私のようにものを語ることは、トレイル仲間への裏切りであり、レース仲間から白い目で見られることを覚悟しなければならない。彼らは一種のカルトなのである。) Ⅰ 異端性と大会への依存性 トレイルランという「やり方」が登山の一方法として一般的な通用性を備えているのならば、そういう「やり方」で、日全国の山々を登れるわけであり、逆説的に言うならば、そういうやり方がわが国の登山の歴史において戦中、戦後の時代から既に試

    ☆ トレイルランニングの虚構性とトレイルランニング第二スポーツ論
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