寒さは厳しいが、広い公園には子どもたちの歓声が響いていた。 阪神・淡路大震災の復興土地区画整理事業が進められた神戸市灘区の六甲道駅北地区。事業が完了して4年近くになる。 公園には「風の家」と呼ばれる集会所がある。六甲山と海からの風を呼び込もうと開放的なデザインになった。住民が管理・運営する地域の活動拠点だ。まちづくりの会合、親子の集いなどに利用され、コンサートなども独自に開いている。 ハード面の事業が終わっても、ソフト面のまちづくりの取り組みが続く。 八つの協議会で構成する同地区まちづくり連合協議会は昨年末の会合で、「1・17」行事などを話し合った。震災後に始まった会合は203回目になる。 ◇ 復興への道のりは険しかった。 区画整理は、震災からわずか2カ月後に都市計画決定され、「性急すぎる」と反発の声が上がった。このため、兵庫県は計画の骨格だけを決め、詳細は住民の意見を反映させる「
地震の報道を見ていて、いろいろ考えた。 ひとつめ。 日本は神戸の震災以来、一定規模以上の都市で地震が起こった時の初動動作など、地震後の対策をすごく学んだ。 神戸という日本を代表する都市の一つで、死者だけで5千人を超える規模の地震があったことで、関西だけでなく日本中がパニックに陥った。 いろんなむちゃくちゃがあり、いろんなミスがあった。 水もお湯もないところに大量のカップラーメンが届き、交通規制が行われなかったために緊急車両が動けなかった。 悲惨だった。 けれども、そういった経験は次の学びにつがなった。 幹線道路の交通規制を何より優先するとか、避難所の状況をまずは把握すること、ボランティアは一元管理、など様々な学びが次の災害支援に活かされた。 神戸の時は、仮設住宅に人を割り当てる際、経済的に困っている順に、先にできた仮設住宅を割り当てた。 当然そうするべきだと皆が思った。 ところが、ご近所さ
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