大台ケ原、既にベストの紅葉が過ぎて二週間ほど経過したが、二人で早朝から走ってみた、今から59年前、当時住まいしていた寝屋川で私小学校5年生、兄中一、隣家岩橋郁夫(郁夫ちゃん)中学二、3人を連れて親父が大台ケ原、大峰山を歩いた一泊2日の日程、今でも記憶にある、オヤジが帰り道を見失い、山の中、沢を歩き回り、4人とも疲れきってしまっていた、偶然にもトロッコの線に当り、それを歩いてトロッコの人に麓までトロッコで送っていただき、命拾い[遭難しなくて)、帰宅まで父も皆が押し黙ったままで帰宅した[皆腹が減っていたのだ)、にも拘らず父は夕飯、ウドンの一杯も言わず押し黙ったままで10時ごろ[夜)に帰宅した、それから20年ほどして初めて母から、その時帰宅時に父のポケットには5円しか残っていなかった、と知った、それと知った時父の苦悩ともろもろの思いで目頭が濡れてくるほど父の凛とした態度を思い出す。写真の熊笹が一