1.はじめに 吉祥寺や渋谷の街を歩いていると、その場所が持っている都市的なゲニウス・ロキ(場所の地霊)が、身体や精神とフィードバックする感覚を味わうことがある。それは、ヴァルター・ベンヤミンが『パサージュ論 第3巻』で述べている「街路はこの遊歩者を遥か遠くに消え去った時間へと連れて行く。(中略)この過去は、それが彼自身の個人的なそれではないだけにいっそう魅惑的なものとなる。」「「全くの生活だけからつくられた風景」にしたのは、彼ら、自身パリの人々なのだからである。」[ベンヤミン、2003:77]というような都市の歴史や記憶の堆積が与えてくれる感覚である。そういった感覚は、郊外の住宅街やニュータウンでは感じることはない。その感覚は、都市とは一体何なのか、都市とそれ以外のものを分つものは何なのか、ということを私に考えさせる。 単なる物材や人の集まりだけでは、その感覚を与えてくれる都市とはなら