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ブックマーク / www.jarchive.org (2)

  • スタンダードは可能か。 (better)

    「最近の若者は車に対する関心が減っている」という話を聞くたびに、ワタシはスタンダードとは何かを考える。車を所有することが若者の間で流行していた時期を知っている人は、車というものはこれからの若者にとっても永久不変の存在になっていくのだ、ということを信じていたのだと思われる。つまり車は若者のスタンダードになったと思ったわけだ。 しかし実際はどうか。不況下なのに整備や駐車場といった維持費がコスト高だとか、社会システム上の問題もあるが、そういったこととは関係なしに、車への興味が初めからない若者が出てきている。車は社会インフラとしては欠かせないスタンダードなものに(今のところ)なっているが、若者文化のスタンダードには(今のところ)なれなかった、ということではないだろうか。 別に車に限った話ではない。CDもそうだ。90年代にはあんなに何百万枚も売れていたのに、てっきり21世紀にも音楽メディアのスタンダ

    oriono
    oriono 2008/09/09
    短期的流行→アリ;中期的スタンダード→アリ;長期的(普遍的)スタンダード→ナシという方向性で考えてみたい。
  • 『リアルのゆくえ』は。 (better)

    読んだについて感想を書くことは滅多にしていないつもりなのだが、縁あってを頂いたのでたまにはウェブにメモ書きを残してみる。だからといってを読解するわけではない。 書は大塚英志(1958年生)と東浩紀(1971年生)の対談集で、全部で四つの章に分かれている。順に「消費の変容(2001年4月)」「言論の変容(2002年6月)」「おたく/オタクは公的になれるか(2007年11月)」「秋葉原事件のあとで(2008年7月)」となり、第二章と第三章のあいだに五年以上の離れがあるのは、二人で編集していた雑誌『新現実』の方向性で意見が対立し、一時期距離を置いていたからだったと思う。 問題としている事物は一見、多岐にわたるが、根底にあるのはオビにあるように「近代VSポストモダン」の構図であり、具体的には一人でも多く「公民」(社会を構成する一員であることを自覚した人)を育てるべきであるとする大塚の考えと

    oriono
    oriono 2008/08/27
    秋葉原の事件を通して東はサブカルの機能を再考する必要があると論じ、このエントリーの著者もそう考えている。
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