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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (24)

  • 同人活動の成果が受け入れられる如何は製品クオリティの問題じゃなくて受け手の問題だよ(ということにしたい) - 焚書官の日常

    ……という話を、いつだかtwitterで書こうとしてたときのメモが見つかったので、ちょい書き足して貼っておきます。 (1)たぶん「同人ゲーはZ-MANなんかからメジャーで出ればいいじゃない」っていうのとは、私は立場が逆で、同人作品は同人作品として楽しめるような雰囲気であってほしいんですよね。クオリティはわきにおいて。 (2)コミケの会場で同人誌出してる人に「君たちそんな描くの好きならプロになって淘汰されてきなよ、毎週週刊マンガ買って待ってるから」って言ったら怒られますよね。 (3)同人の機能とは、いうなれば「アマチュアリズム」=「受け手だった自分が創作の一端に触れることで、自分の〈好き〉をもっと深く知ること。そこに報酬は発生しない」ということである、と、私は解釈しています。 (3.5)はじまりは、ノートの隅っこにまんがのキャラの落書きを描くようなことだったと思うんですね。最初はそれを売る気

    同人活動の成果が受け入れられる如何は製品クオリティの問題じゃなくて受け手の問題だよ(ということにしたい) - 焚書官の日常
  • ゲームとはふつうの人には「非日常」の演出みたいなこと - 焚書官の日常

    http://pcod.no-ip.org/yats/search?query=http%3A%2F%2Fbit.ly%2FioL7X http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ideaxidea.com/archives/2009/10/bangkok_drinking_game.html 脳のなかの古い部分の自分がこう言った。 これをゲームとか面白そうとかどんだけ娯楽燃費がいいんだ。そういう人は、チェーン系居酒屋で一個だけ辛いのの入ったたこやきを注文したりして、ったときのリアクションを見たりするのも楽しいんだよねきっと。わーわー。 Twitterの自分が、捻ってこう言った。 中年ゲーオタは、リア充にとっての「ゲーム」=「負けたら酒を飲む」に不機嫌さを出さずに適応する能力を問われる。 私は酒は飲めないほうだから、こういう遊び(?)をやらされたら気で嫌がるかも知れ

    ゲームとはふつうの人には「非日常」の演出みたいなこと - 焚書官の日常
    rikuo
    rikuo 2009/10/17
  • ブクマ話で全力でDISりたい部分 - 焚書官の日常

    (註:ブックマークされたので補足。ここと合わせて http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20080604/p2 もお読みいただくと、多少意味が通じるかも知れません) 最初読んだだけでは、それが自分にとって、どういう意味を持つのかがまだわからないエントリというのが、けっこうあって、そのことを私は問題にしたいんだなぁと思った。 そういうものに「人生」「ネタ」「もめごと」みたいなタグを振るという行為は、ものすごい妥協なのだよね。妥協ってわかってやってるならともかく、だんだんタグを振ることが自己目的化していく。 で、ふと我に返って自分に突っ込む。「お前、後で自分のブックマークを「人生」とかいうタグで検索して眺めんの?」うへぇ。 ある文章が、自分にとってどういう意味があるかっていうのは、タグづけじゃフォローできない。 とりあえずピンときたものを何かにしまっておくのが、せいぜい

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    rikuo 2008/06/10
  • えっけんさんのエントリを二つ読んだ - 焚書官の日常

    たまたま続けて読んだのでメモじゃなくて感想として書く。 ネガティブコメント http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-859.html 死ね死ねコメンターは「自分が書いたことがそのまま公開されて相手がダメージを受けるか慌てるかする」という状況をつくりたいと思ってる。 承認制というのは、その「書いたことがそのまま反映される」という前提を、ブラックボックスに入れて、わからなくしてしまうということだ。コメント欄に表示されているコメントは、都合よく取捨選択されたものかもしれない。だから、自分がコメントしても表示されないかも知れない。*1 そういう風潮がある程度流行すれば、コメント欄は、コメントを書く側にとって「書きがいがないもの」とみなされて、死ね死ねコメントの対象になりにくくなるんじゃないだろうか。 面白がって書かれる、つまらないコメントの全体数が減るというか。

    えっけんさんのエントリを二つ読んだ - 焚書官の日常
  • 「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの - 焚書官の日常

    承前 何かに関心を持って、ちょっと検索してみて、興味を惹いた記事、あとでゆっくり読もうと思ったものを、ブックマークする。 私がブックマークしようとすると、ときどき、「このエントリはすでにブックマークされています」と、出て来る。昔自分がブックマークしたものを、もう一度ブックマークしようとしたらしい。 これは、私の物忘れがひどい、という話かしら。でも、そういう細かいことを忘れるために、ソーシャルブックマーク(以下SBS)を使っているはずなので、私は悪くないはずだ。 「SBSはミニブログなんです!」「なるほどー」 ここに、SBSが「ミニブログ」である、という視点から、補助線を引く。その日考えたこと、目にとまったものをブックマークしていくわけだから、ミニブログと言ってしまっても問題なさそうに思える。(see.google: ミニブログ ソーシャルブックマーク) すると、さきほどの二重ブクマ問題は、

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  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    メモ帳 ロディアの11号は愛用者多いと思うし自分も使ってるけど、あのサイズに何かメモしようと思ったら字が小さくなるので、紫の罫に負けることが多い。 投げ銭が流行しない 投げ銭が流行しないのは、投げ銭があくまでピアツーピアで終わっていて「見せ投げ銭」みたいな仕組みがないから。多くの人が、「お前すげぇ!」という感情で金を払うのではなく「こいつすげぇ!よね?」という安心感に対して金を払う。これは極端だろうか? でも、当に「お前すげぇ!」という気持ちだけが対価になりうるなら、対価に使える通貨はもっと自由であってもいい気がする。 今頭に涌いたこと: レディオヘッドの「御代は好きなだけ…」というモデル そういえばキングも 'The Plant' のオンライン販売で失敗してなかったっけ セルクマ 自分が書き手として書いたものを、読み手の立場でブックマークするのは別におかしくなくて、それにわざわざ「セル

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  • 「殺すぞ」という脅しよりも危険な、日記に対するテロ行為 - 焚書官の日常

    google:焚書官の日常 -アクロイド殺し -犯人は -*** みたいな検索結果から日記を読みに行くと、リファラをチェックした日記の書き手に真犯人を教えて困らせることができる。というかそれに近いものがあった*1。 *1:勿論、故意にそういう検索をした結果ではない

    「殺すぞ」という脅しよりも危険な、日記に対するテロ行為 - 焚書官の日常
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    rikuo 2008/05/19
    応用して遠回しな愛の告白とかできないかな。[遠回り過ぎる]
  • 文化人類学者のノート(「絵描きさん」の村に関して) - 焚書官の日常

    …この「絵描きさん」の村には、村人同士で絵を贈り合うという風習があり、さいしょそれを私は、奇妙なものだと思っていた。複製が可能なデジタルデータを「贈る」ということの意味が理解できなかったのだ。 それで私は、彼らが絵を贈った後の行動をすこし観察した。 絵を書いた側の者は、贈ったあとも、オリジナルのデータを自分が持っているわけだが、その絵を自分の管理するスペースに飾ることはしない。贈った側は、自分のスペースに飾るかわりに、贈った相手のページ(トップページ)へのリンクのみを、自分のスペースに書くのが、通例であるようだった。 一方で、絵を貰った側は、その絵を自分のページに飾り、贈ってくれた人のページ(トップページ)へのリンクを併記していた。 どうやらかれらは、デジタルデータである絵を複製することを、擬似的に贈り物とみなし、制作者でない者が絵を「所有」しているかのように、見立てているようなのだった。

    文化人類学者のノート(「絵描きさん」の村に関して) - 焚書官の日常
  • 失敗しないブロギング - 焚書官の日常

    自分にとって重要だと思うことは絶対書かないほうがよい。わたしも書いてない。ちょっとした思いつきを自分の人生に実りをもたらすものにするためは、こんなところに書いてはいけない。 さて以下は余談。 このことを敷衍すると、技術者なら、自分の携わっている技術についていっぱしのことが言えるまでは、ブログにはその技術の話題を書かないほうがよい、といえる。 間違いをおそれずブログに書いてたら、指摘をうけて直しているうちに次第に力が付いてくるよ、といわれる。しかしこれは、誰にでも当てはまるわけではない。ブログで試行錯誤してよいのは、ある一定のレベルに達した人だけだ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://phpspot.org/blog/archives/2007/10/phpspot.html 尻馬に乗って閉鎖とか責任とか隠蔽とか、大袈裟な言葉をぶんまわしている人を見て、そ

    失敗しないブロギング - 焚書官の日常
  • I see your face, and I like your face - 焚書官の日常

    はてなダイアリーの日記を見ていて「この人はまたこんな、どこかで見たようなことを言っているのか」と思うことが増えた。「またこんな」の「また」というのは、書き手が繰り返しているのではなく、読み手である自分が似たようなもののまわりをほっつき歩いているという意味。 自分の精神状態が原因なのかも知れないし、何も為さないままここ(日記を読み書きすること全般)に長く居すぎて、正直飽きた、ということもあるだろう。 自分はほとんど人の日記を読まない。主体的に、なんだなんだ、と思うときというのは、何かもめごとが起きているな、というときだったりする。もめごとの多くは、結論がでても「そんな気持ちの問題やら態度の表明やら、どうでもいいじゃねぇか」と思うので、ますます読みたくなくなる。 どうでもいいじゃねぇかと思う一方では、その話題がその人にとって目下重要なことだし、書きたい気分だから書いているのだ、ということはわか

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    rikuo 2007/09/01
  • はてなは身内の意見を重用する企業だった(スクープ) - 焚書官の日常

    自分に近い人の意見を重用するのって、仕方のないことじゃないのだろうか。 こういう言い方には語弊があるか。 身内であれなんであれ、機会としてそういう意見が「ある」のだから、無視するより利用してもらったほうがいいような。ほかからうさんくさいと言われようとなんだろうと。 意見を拾ってくるセンスがよくない、下手だなぁ、ということはあるかもしれないけど、不公平だって怒る理由はあんまりないような気がする。 以前あった「ユーザ主催の集まりにはてなの人が顔を出して、そこでのコメントを検討しちゃった」話と、今回の蝗どうこうと偉い人が進言したら通っちゃったらしい、という話が同じ俎上にならべられて、ほら「はてな社」はそういう会社なんですよということになってるみたい。 そりゃ、特定のユーザの話を聞く機会を継続的に持とうとしてるのなら、問題があるかも知れないけど、そうじゃない場合、<たまたま縁があった>とかいう日

    はてなは身内の意見を重用する企業だった(スクープ) - 焚書官の日常
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    rikuo 2007/06/22
  • デザインについて - 焚書官の日常

    道具を馬鹿みたいな目的につかうかどうかは、最終的には道具の中に、デザイン的な理想を感じられるかどうかということになると思う。 こういうふうに言うとこの動物めがッ、と罵られる気もするけど。 使い手を評価して失点をつけていくような方法は、機能するかも知れないが、後ろ向きで、理想がない。 そういうのは悪い意味での「ゲーマーズゲーム」だと思う。 ゲーマーズゲームとは たまに、同人で作られたカードゲームを遊ばせていただくことがある。あぁやはりプロのものとは違うものだなと(すいません…いや、同人でも面白いと思ったものもあるし、プロの作品にもつまらないのはたくさんあるけど…)思うこともある。 私はとくに忍耐力に乏しいので、数字の上げ下げに終始するようなゲームだと、特に、「うぅ…」という気分になる。 たとえば、あるゲームの手番で Aという選択肢:すぐに+5点。しかし伸びないかも知れない Bという選択肢:す

    デザインについて - 焚書官の日常
  • リアルアルジャーノンというか - 焚書官の日常

    日記人格がアルジャーノン化するということはあるんじゃないかと思う。 質の高いエントリーが書けなくなる、ということがそうだと定義するなら。 質の高いエントリーという言葉は犬にわれればいいのに、と思う。

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  • アマゾンとSBSについて - 焚書官の日常

    アマゾンのおすすめがまともに見えるのは、身銭を切って買ったものからリストを作ってるから。 SBSをアマゾンのおすすめに近づけるということは、そのような縛りを設けることじゃないかと思う。全体の方針として一手一手を重くすればよいわけだから: ちゃんと読んでない記事はブックマーク禁止。 マッキントッシュを持っていないユーザーはマッキントッシュの記事をブックマーク禁止。 ブックマークは、ひとり1日10個まで。11個目からは5ptずつはてなポイントをお支払いください。 …緊張感でバランスを取るのは好みではないが。 あーあと、これは多少ずれるけど ブックマークで保存されるエントリは1ユーザあたり最新の500のみ。「いつか検索」とか考えてる暇があったら見返してまとめましょう とか。 追記 集合愚から集合知を取り出す - 妄想科學倶樂部 を読んでの感想です。 追記2 「こんなの釣りに決まってるじゃないです

    アマゾンとSBSについて - 焚書官の日常
    rikuo
    rikuo 2007/04/04
    ルール設定で情報をコントロールするのも面白いかも。| 全然関係ないけれど個人的にはTropyを連想。
  • 「ヒヒョーカは黙れ」 - 焚書官の日常

    文句を言わず誉めろ、何か生産しろ、という理由を付けるとたいがい誰も文句を言わなくなるので便利だ。便利だから「100%同意です!」という尻馬の人がくっつく。このへんが宗教。 幸福の総量が最大になるように、という話に持って行かれると独壇場。まったくそうですねとしか言いようがございません。100%同意です。 追記 まぁそういう誤解や、「誤解を生ませるなよな」や「そんな誤解する奴はほっとけばいいんじゃ?」や「うるせぇ技術バカ」というしもじもの言いぐさも見越して、敢えて言ってるんだろうけども。 しかし「最大多数の最大幸福」というのも「多数決」みたいなもので、否定はされることはないけれども、何らかの社会契約の下で結ばれた価値だ、ということを、なかったことにしてしまうのは、やはりフェアじゃないなぁと思うのだった。

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  • 質問してみた - 焚書官の日常

    はてな匿名ダイアリー(http://anond.hatelabo.jp/)を使ったことのある方にお伺いします。 このサービスには、自分の書いた日記を一覧するページ(anond.hatelabo.jp/[username]/)があります。ヘッダのリンクからも辿ることができますが、この「自分の日記」のページを見てますか? まぁ、見てないんだろうなぁ(大抵の人にとっては「日記」じゃないんだろうなぁ…だからああいう内容なんだろうなぁ…)、という予想で。3-7くらいの割合で見てない人のが多そう。というか300人も利用者がいるかどうかわからないけど。 あぁ、しまった。使ったことがある、という場合、「閲覧」というのも含むのか。 終了 ちょっと質問文が悪かった気がするけども、結果を一応真に受けて、3-7どころじゃねぇなおい、と言ってみておく。 あと、思ったより30代が多くて、「見てる」「見てない」の比率は

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  • 匿名について - 焚書官の日常

    匿名で書いたものだから批判されても別の匿名で他人のふりして書けばいいじゃない、で、そういうことができるのがネットにおける強さじゃないの、という意見がある。 そういうの見てると、うへぇ、と思うが、文句を言っても仕方ないので圧縮メモ。 IDに信頼度というパラメータがついていて、それが「批判」「謝罪」によってあがったりさがったりするという前提というのがあるのかも。しかし、そういう前提を採用しない人もいると思う。 話をするということのプラグマティックな価値と人格的な価値を混ぜて話がでかくなってるんじゃないの、と思うことがときどきある。 一見「議論」「批判」とか言ってて冷静なんだけど、やってることはIDの信頼度に対する「批判」「謝罪」の通貨のやりとりになってる場合とか。そういうやりとりをしたがってるのは人格的な部分じゃないのか。 匿名だから書き捨てできる、批判されたら他人のふりすればいいじゃない、と

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    rikuo 2007/03/04
  • ダイアラ無責任論 - 焚書官の日常

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20070221/p4 どっちとも取れるコメントがついてるので補足しとくと、「仮にも一日数千アクセス…」とか言うのは、オレじゃないです。 関連: はてなブックマーク - id:kazenotoriをdisる会 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku はてなブックマーク - Entertainments Lovers Live - マッつぁん、またまた必死だな 一度「ネタでやってる」と取られてしまうと、それ以降何を言っても「真面目にやれ」「ブロゴスフィアーで責任ある立場の奴がそんなこと言うな」「梯子外すな」「私怨ですか」「必死だなw」とか言われてしまうというバカの壁があって、上でブクマしてる人たちは(おれの書いた内容を半笑いで読んだにせよカチンと来た

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    rikuo 2007/02/28
  • 「はてなってそうなんだー」「ワロタ」とか思う人は、解釈を飲んじゃってるのね - 焚書官の日常

    と思うのが先に来るので、笑うという感覚はないなぁ…。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/wetfootdog/20070220/p1 ここからのシナリオとしては: シナ千代さんがそこで「何お前ら素で感心してんだよ!」とマジ切れ→何梯子はずしてるんですかとつっこまれる→私は一つの解釈として書いてみたのですカノッサ的な手法でそれを示しているのですと、シナ千代さんがしなくてもいい弁明→「仮にも一日数千アクセスを誇るはてなダイアラーがそんな無責任なまとめをするのには問題があるのではないですか」とか言う人が出現…ははは。 そうそう。『つっこみ力』というは、そういう人たちに読ませるといいと思うのだった。経済学や社会学のことは関係ない。

    「はてなってそうなんだー」「ワロタ」とか思う人は、解釈を飲んじゃってるのね - 焚書官の日常
  • 歴史編纂欲について - 焚書官の日常

    ボードゲームに関して自分はそういうものを感じないのだけど、もっと歴史の長いジャンルについて言えば、通史をまとめようとする人が現れる(そして紛糾する)ことはよくあると思う。 なぜ、歴史編纂の必要性を感じないものと感じるものがあるのか、考える。入手不可能なリソースが増えて(ミュージシャンが死ぬとか、が絶版になるとか)伝聞での経験が増えることで、ストレスが生まれ、語り直したい欲求みたいなものにつながっているのだとしたら、それが歴史編纂欲というものであり、その時点ではじめて「歴史」が生まれるのではないか。 書かれた「歴史」に対しては、事実誤認や認識の不足に関する突っ込みというのが、ほぼ必ずある。しかしそもそも、「歴史」を書いてみたい、と思うのは、もはや情報が十分アクセシブルではない、という認識と、語り直したい欲求があるからだとしてみよう。「歴史」を書きたい人は、自分がわからないからやってみてるの

    歴史編纂欲について - 焚書官の日常
    rikuo
    rikuo 2007/02/28
    年表作りの戒めに。