わたしがユニホームを脱ぐ2年前、秋田の鷹巣農林高から阪急に入団してきたのが中嶋でした。同郷で実家も近く、彼の両親からは親代わりを頼まれ、なにより秋田からプロ野球選手が出てきたことがうれしかったですね。 当時の阪急に秋田商出身の捕手で成田光弘さんという方がいました。その先輩が野球をやめて地元に戻った後で目に付いたのが中嶋で、球団に推薦したようです。無名だった高校球児は阪急に縁があったんでしょうね。 1988年(昭63)10月23日、引退試合になった西宮球場のロッテ戦、上さん(上田利治監督)に「中嶋と組ませてくれませんか」とわがままを受け入れてもらいました。プロ入り当初はまともにボールを捕れなかった男が、その試合では本塁打を打ちましてね。 ああみえて気遣いのできる純粋なやつです。どこにいってもずっと気になっていたし、1軍監督に昇格する際、後ろ向きだった本人に「これだけ低迷してるんだから、好きに