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6月最後の週末に,渋川市・伊香保温泉を旅行してきた。東京の新型コロナウイルスの感染者数が再び増加する傾向が見られたので,7月はまた県外への移動の自粛が勧告されそうだということを見越して,急遽旅行の計画を立てた。当初の予定では行き先に妙義山を含んでいたが,石門巡りが落石により封鎖されていたのでこれを外し,榛名山をロープウェーで登るというぬるい旅行になった。以下,観光地別に。 《渋川駅》 北陸新幹線で高崎へ,そこから在来線の上越線に乗り換えて渋川駅へ。ここで自動車で来る頬付・隙間坊主待ち。 なかなかの景観。 pic.twitter.com/kPIrNrXvru — DG-Law/稲田義智 (@nix_in_desertis) June 27, 2020 渋川駅,名前の通り渋くてかっこいい。渋川駅の駅構内にある観光案内所のおっちゃんが異様に話好き&渋川愛にあふれる人で,公式やらご本人手作りやらの
2020年、群馬県人口は240万人になる――。そんな推計に基づいて、平成初期に建設が計画された群馬県庁舎。人口減少が進む県都にそびえる地下3階、地上33階建てビルは何を象徴するのだろうか。 新庁舎の建設に向けて、県が「県庁舎建設準備研究会調査班」を設置したのは1989(平成元)年。当時の総務部副部長で、その後、総務部長として基本設計の立案などに関わった唐沢太市さん(86)は「単なる事務所ではなく県民に開かれた庁舎をつくろうと、フロアは100年先を見据えて余裕を持ったものをと話していました」と当時を振り返る。 当時の県庁舎は、業務や職員数の増加に伴い建て増しが重ねられた。県がまとめた建設誌によると、平成初期には行政庁舎だけで9棟、議会庁舎や県警本部庁舎を含めると15棟の分庁舎が乱立。「不便だし、建て増しで結局高くついていた」と唐沢さん。90年には「県庁舎建設委員会」を設け、具体化が進められた
会津藩からの視点で描かれた前々回のNHK大河ドラマ『八重の桜』では、長州藩がテロリスト然と描かれて賛否両論を巻き起こした。今回の大河『花燃ゆ』は一転して長州が主役。それに穏やかならぬ思いを抱いているのが群馬県民だ。福島県民ならともかく、なぜ群馬県が? それは大沢たかお演じる「ヒロインの夫」にまつわる禍根が理由だった。 大沢たかおが演じる「小田村伊之助」は、ヒロイン・文の再婚相手で、後に「楫取素彦」と改名して初代群馬県令(現在の県知事)となった人物。そんな楫取が猛反発を受ける理由は、やはり県庁所在地を高崎市から前橋市に移したことが大きい。 群馬県一帯は古くは「上野国」「上州」と呼ばれていたが、江戸時代は前橋藩、高崎藩などに分かれ、維新後も1871年(明治4年)の廃藩置県で前橋県や高崎県など9県に分かれた。その後紆余曲折を経て1876年に群馬県に統一されるが、長らく別の藩だったこともあり前橋・
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