皇后さま国王夫妻とチークキス「お気を付けて」「私たちも日本に」車に乗り込む間際まで別れ惜しまれる 明日思い出のオックスフォードへ
「死にたい」という相談には、 「死ぬべきではない」「悲しむ人がいる」「生きたくても生きられない人が世の中にはいる」「個人的に死んでほしくない」など、 おおむね自殺しないでほしい、自殺するべきではない、という返信がつく。 もちろん、「死ぬべき」「死にたいなら死んだ方が良い」などという返信もつく。 それらは私には、全てエゴであるように見える。 相談する方もエゴであるからお互い様だと思う。 でも、どうして、そう言うのか知りたい。どうして人の自殺を止めるのか、その動機が知りたい。 エゴである事が問題なのではない。それはどのようなエゴであるのかが知りたい。 認めると自分も自殺するべきだと思えてしまう状況にあるからだろうか。 その人の死が社会的な損益だと思っているのだろうか。 見殺しはなんとなく気分が悪いからなのだろうか。 また話したいと思うからだろうか。 もっともらしい正義を語る機会だからだろうか。
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