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discussionに関するume-yのブックマーク (7)

  • 小飼弾氏に聞く: 会議についてどう思いますか? (1/5) - ITmedia Biz.ID

    会議について考えていく連載。今回は、ベストプラクティス的な方法論や一般論だけでなく、ある個人にとって会議またはコミュニケーションとはどのようなものなのかというテーマでインタビューを行った。今回、登場するのはアルファブロガーでオープンソースプログラマーの小飼弾さんだ。 スケーラブル・サマリー──必要なディテールはどのくらいか? 小野和俊 今回のインタビューは会議に関連した連載の一貫として、弾さんにネットとコミュニケーションをテーマとしたお話を伺えればと思います。よろしくお願いします。 小飼弾 よろしくお願いします。 小野 梅田望夫氏はここ数年、セミナーに現地まで出向いて参加するのはやめて、ネットでストリーミング中継を見るようにしているそうです。ネットでのコミュニケーションツールが発達することで、リアルに出向く必要性が低下する場合があると思いますが、弾さんとしてはこのあたりいかがでしょうか。

  • 夕方のtwitterでの発言の補足ログ - finalventの日記

    意識の問題と存在の問題の違いのわからない人は多い。つまり、その人がどのような思想を持っているかということと、その人が社会構造のどこに嵌め込まれて存在しているか、ということの違いについてだ。 いくら意識を改革しようが知識を得ようが、存在に変化がなければ社会構造は変わらない。そして、社会構造が各種の権力を生み出していくのであり、人の存在、つまり社会的存在は常にその権力の機構の一部になっている。意識的に、思想的に否定しようがしまいが。そして意識も思想もそれらの権力の仕組みとは原理的に断絶している。 あるいはこう考えてもいいかもしれない。主体と想定している個人の意識と、その社会構造の機能としての意識の差異がどこにあるのか。個人がどのような思想を選択しようが個人の趣味に近い。だが、社会機能として存在しているとき、社会システムのなかで各種の権力を構成していく。その社会にもし差別や不当な権力が存在すれば

    夕方のtwitterでの発言の補足ログ - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2007/10/30
    「相対的な問題の枠組みのなかでは、意見の対立がどのようにあってもやはり相対的にしかならない」
  • 議論すべき会議とそうでない会議 - @IT自分戦略研究所

    将来に不安を感じないITエンジニアはいない。新しいハードウェアやソフトウェア、開発方法論、さらには管理職になるときなど――。さまざまな場面でエンジニアは悩む。それらに対して誰にも当てはまる絶対的な解はないかもしれない。連載では、あるプロジェクトマネージャ個人の視点=“私点”からそれらの悩みの背後にあるものに迫り、ITエンジニアを続けるうえでのヒントや参考になればと願っている。 ■リーダーシップトライアングルにおける位置付け この連載では、システム開発プロジェクトにおけるリーダーシップを中心に、「私の視点=私点」を皆さんにお届けしております。 今回は、リーダーシップトライアングルのCommunicationに関係します。Communicationについては、第8回「コミュニケーションはリーダーシップの基礎」を、参照いただければと思います。 これは田技研工業の創業者である田宗一郎氏のいう

  • 議論というのはまず大鉈を振るうかピンセットを持つか - finalventの日記

    そこがとても難しい気がする。そして議論が錯綜するのはそこの間違いに起因するようにも思う。 もちろん、単純な二分はできないのだけど、錯綜のなかで工作や誘導は意図的にこれらを混同させているように思える。 まあ、ブログというのはその二つの切れ味をどう抑制的に使うかといことかな。 とか書いても曖昧か。

    議論というのはまず大鉈を振るうかピンセットを持つか - finalventの日記
  • 情報の裏側をどう読むか?~議論を嫌う日本人の皆様へ

    情報の裏側をどう読むか?~議論を嫌う日人の皆様へ:Microsoft ECM & BI Conference 2007 情報の真実や価値を発見することが、日常のさまざまな場面において要求される。ビジネスでの現場でも同様だが、そのためにはITのどのような活用法が用意されているのだろうか。 マイクロソフト主催のカンファレンス「Microsoft ECM & BI Conference 2007」が4月12~13日の2日にわたって開催された。「BI Day」となる13日には、ソフトブレーンの創業者であり、現在は同社のマネージメント・アドバイザを務める宋 文洲(そう・ぶんしゅう)氏による基調講演からスタートした。多くの著書を持ち、ネット上でもコラムを執筆し、テレビをはじめとするメディアへも多数登場している氏の第一声は、日のメディアそして日人そのものへの疑義であった。 例えば地方の新聞には、全

    情報の裏側をどう読むか?~議論を嫌う日本人の皆様へ
    ume-y
    ume-y 2007/04/17
    議論の話が興味深い。
  • 読売社説 [無資格助産]「産科医療の現状を問う起訴猶予」 - finalventの日記

    産科医療全体を見直す契機である。 こう言ったとき問題は終わる。 そもそも論はなんだがなぜこの問題が吹かされたのか私は理解できない。

    読売社説 [無資格助産]「産科医療の現状を問う起訴猶予」 - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2007/02/02
    「『産科医療全体を見直す契機である』こう言ったとき問題は終わる」
  • 馬鹿はうつる?馬鹿をうつさないためには:ナレッジ!?情報共有・・・永遠の課題への挑戦:オルタナティブ・ブログ

    ここ数日ブログのテーマであるナレッジマネジメントに関係のないエントリーが続いていたので、今日はテーマをナレッジマネジメントにもどして書いてみる。 先日同僚が貸してくれたあるに「馬鹿はうつる」という一節があり、かなりのインパクトを受けた。そので著者は、例としてオーケストラなどの協調的作業の場ではひとりでもレベルの低い奏者が入ると全体のレベルがそれにあわさるという話をあげていた。そして芸術家が、こういったレベルは一番低い人にあさわる(=馬鹿がうつる)現象を嫌って馬鹿とは一緒に仕事をしたがらないという意見を紹介していた。 私がこの一節を読んだときに考えたのは、ディスカッションやブレインストーミングといった企業内のナレッジマネジメント的な場も同じだろうか、ということである。たしかに会議などの場で一人だけ前提知識が無い出席者がいて、いちいち経緯や背景の補足説明に話題が戻ったり、目的の意識レベルの

    馬鹿はうつる?馬鹿をうつさないためには:ナレッジ!?情報共有・・・永遠の課題への挑戦:オルタナティブ・ブログ
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