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正論に関するvitamincbaのブックマーク (2)

  • 正論原理主義についてもう一回考える - 国家鮟鱇

    ⇒では正論ではない論を吐くとは? - OAF 俺は結局『文藝春秋』屋で立ち読みしただけなんだけれど、村上春樹氏の言う「正論原理主義」ってのは、イスラエルにはイスラエルの正論があり、パレスチナにはパレスチナの正論があり、その二つの正論の歩み寄りの困難さっていうより、イスラエル人はイスラエルの正論に基的に賛成なのであり、逆らうつもりはないんだけれど、正論原理主義によってどんどん過激化してしまう。パレスチナも同じ。そうなるとどっちかが消滅するまで争いは終わらない。ってことなんだろうと思う。 オウムの場合もオウムの正論なんて、そもそも大多数の人間にとっちゃ正論でもなんでもない。でもオウム信者にとっては正論。で、オウムの正論は間違ってるから改めよって話じゃなくて、正論原理主義によってどんどん過激化してしまうということを言っているんだろうと思う。 内部の人が正論原理主義にどう向き合うのかって問題。

    正論原理主義についてもう一回考える - 国家鮟鱇
  • 「空気の支配」と「正論原理主義」の違い - 国家鮟鱇

    マスコミが家父長的なパターナリズムに陥って、わけのわからない古びた勧善懲悪を振り回す。そういう空気の支配には唖然とさせられるが、その一方でインターネットの世界も空気に支配されている人が少なくない。「反マスコミ」「リベラル」「反サヨク」という空気に呑み込まれて、その論理の質そのものは置き去りにされ、まともな議論は置き去りにされたまま空気だけが支配力を強めていくようなところがある。この空気の支配は、自分を正当化する。議論しない。悩まない。 それこそがすなわち、「正論原理主義」だ。正論原理主義は楽チンである。なぜなら絶対的な正義を背中に背負っていると信じることができれば、思い切り大声で怒鳴ることができるから。怒鳴っているうちに、どんどん気持ちは高揚し、ますます自分は正論を吐いているんだと気持ちよく酔うことさえできる。 ⇒「正論原理主義」を乗り越えて:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNE

    「空気の支配」と「正論原理主義」の違い - 国家鮟鱇
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