菅総理を見るとカイワレを思い出す。実は、私はそのとき、チェルノブイリの子どもたちと淡路島にいました。阪神・淡路大震災の年に。0-157騒動の中で。まだみんな屋根にフルーシートをかけていました。 チェルノブイリを訪問するたびに泣けて帰ってくる。日本で元気になった子供達を訪ねて、その家庭を訪問すればお母さんたちもお父さんたちもまた病んでいた。でも、みんな子どもだけは…助けてほしいと訴える。 大人は適応能力の問題もあって、ホームステイは難しいしなにより航空運賃が高い。そんなわけで、EMのプールをベラルーシにつくってあげたいとずっと執着していた。ドボンと体ごとつける。お風呂もないベラルーシでは、体液循環も悪いし、EMのプールに入ってもらって、被ばく症状の一つである背中の重さをとってあげたかった。皮膚も強くなって欲しかった。本当にみんな身体が重かった。 1ヶ月ベラルーシに滞在してねばったことも