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グリーフと自殺に関するyuigon_infoのブックマーク (3)

  • トモクライム 逢いたい 受け入れられる家族に

    「自殺ではなく、病気だったらよかったのに」 病気を苦に自死してしまった方のご家族の言葉を聴いた。 気持ちは、痛いほどわかる。 私の夫も以前、私が、 「○○さんのお父さん、息子さん亡くなっても明るくてがんばってるね」 と言った時に、 「○○さんは病気だから、オレの苦しみとは違う」 と、言ったことがあった。 確かに、自死は、どうしても偏見で見られがちだ。 あの子は、かわいそうな子だ。 あの子は、なぜ、自分から死んでいったんだろう。 あの子は、普段から様子が暗かった。 そんなふうに噂されることが多い。 だから、その人も名誉のためにも、自死であることは 知られたくないのだろうと思う。 でも、私は思う。 家族にしてみたら、自死でも事故でも病気でも、 もうその子に触れないのは同じこと。 その子の笑い声も、かわいい笑顔にも逢えない。 なのに、どうして 自殺ではなく、病気だったら「いい」のだろうか。 (同

  • 精神科医の視点から:グリーフ理解(つづき) | グリーフサポートルーム

    張先生のご指摘から、ぜひ、受講性には真剣に考えてもらいたいことが他に一点あります。それは自らの命を断つ行為を、「自殺」と呼ばずに「自死」と呼ぶ風潮に関してです。これは遺族の要望で「自殺」と言う言葉のイメージが強烈で衝撃が強過ぎることから、それに対してよりマイルドで衝撃も緩和される言葉「自死」がふさわしいと言う理由でそうなったと言われています。いわば同じ行為を言い表すのに後者は湾曲化しているわけですが、今では「自死遺族」という言葉が定着しつつあります。 さて、張先生によると「自死」と呼ばれる行為は、正確には「病理性のない」「意志的な」死の選択であり、むしろ、確固たる哲学的信念に基づいて理性的に決行した場合にのみ言えることで(参照、須原一秀「自死という生き方」)この定義に当てはまらないケースまで全て「自死」と呼ぶのはおかしいと言う事になります。 一つ前のブログに書いたように、自らの命を立つ決断

  • 自殺者遺族との接し方、解説冊子

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