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ブックマーク / yoshikos11.exblog.jp (3)

  • 夫の命日 | グリーフサポートルーム

    11月8日、今日は夫の命日です。秋日和の穏やかな良い一日となり、ラッキーでした。お墓参りと教会のミサに行き、静かに過ごしました。仕事が立て込んでいて、やらなければならないことが山積しているのですが、『今日一日くらい、休んだっていいだろう!何も変わりはしない!』と自分に言い聞かせて仕事は休業に。 ここ3年、命日を記念して、毎年メモリアルのグリーティング・カードを手作りして、彼とご縁のあった方々や、私の友人や仲間に送っています。上の写真は去年送ったカードの表紙のもの、今年は、自作のコラージュ「BALIの思い出」をスキャニングして使用しました。(この写真はpdfなのでここに掲載できなくて残念です)BALIは、夫が病気で倒れる一年前に、夫婦でバカンスを楽しんだ思い出の地です。最後のバカンスになりました。Hotel Amankila、あの神秘的な雰囲気、今でも忘れられません。 カードにはその時々の心

    夫の命日 | グリーフサポートルーム
  • 精神科医の視点から:グリーフ理解(つづき) | グリーフサポートルーム

    張先生のご指摘から、ぜひ、受講性には真剣に考えてもらいたいことが他に一点あります。それは自らの命を断つ行為を、「自殺」と呼ばずに「自死」と呼ぶ風潮に関してです。これは遺族の要望で「自殺」と言う言葉のイメージが強烈で衝撃が強過ぎることから、それに対してよりマイルドで衝撃も緩和される言葉「自死」がふさわしいと言う理由でそうなったと言われています。いわば同じ行為を言い表すのに後者は湾曲化しているわけですが、今では「自死遺族」という言葉が定着しつつあります。 さて、張先生によると「自死」と呼ばれる行為は、正確には「病理性のない」「意志的な」死の選択であり、むしろ、確固たる哲学的信念に基づいて理性的に決行した場合にのみ言えることで(参照、須原一秀「自死という生き方」)この定義に当てはまらないケースまで全て「自死」と呼ぶのはおかしいと言う事になります。 一つ前のブログに書いたように、自らの命を立つ決断

  • あらためて、ホスピスの理念を思う | グリーフサポートルーム

    先週土曜日に、ベグライテン(デ−ケン先生のホスピス・ボランティア養成講座,修了生の会)の8周年特別講演会へ参加して、講師、谷荘吉先生(ホスピス専門医の草分け的存在)のお話を聞きました。演題は「心豊かに感じ、考え、行動するために」:公共の哲学のすすめーでした。 公共の哲学という言葉、ここでは簡単にします。詳しいことは、山脇直司の「公共の哲学とは何か」という図書がご推薦でした。あえて今「公共の哲学」と叫ぶ理由は、そもそも哲学とはその原点,ギリシャ哲学の初めからカント、へーゲルに至るまで、公共の福利、利益を探求する学問的活動だったのが、日では個人的抽象的思惟の世界に回避するもののように誤解され、導入された〜今、その原点に戻ろう、ということのようです。 目指すところは「個人を生かしつつ、公共性を開花させる道筋」です。言い換えると、自分の才能を生かし、自分らしく生きることが、同時に公共の福利に繋が

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