以前、ダイヤモンド社の辻広雅文さんから、晩年の後藤田正晴氏(中曽根内閣時の官房長官)は「官邸主導」の考え方に否定的だったという話を聞かせてもらったことがある。その理由は、後藤田氏は多くの総理経験者を間近にみてきたが、必ずしもリーダーとしての資質に富んだ者ばかりではなく、「凡庸な」人物も少なくなかったからである。有能な人物ばかりであればいいが、そうではない者に権限を集中させるのは弊害の方が多くなりかねないから、ということだったようである。 賢明な指導者に恵まれるなら、独裁制の方が民主制よりも効率的である。しかし、哲人政治を求めても、指導者が必ず賢明であるという保証はない。それゆえ、民主制という政治制度が平均的には「よりましな政治制度」として選択されているわけである。こうした観点からは、権限配分のあり方を考えるときに、担い手の力量はどうなのか、権限と能力が見合うものになるかといった点の吟味を怠
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