軌道上に遺灰を周回させて最後は落とすような宇宙葬じゃなくて宇宙死というのはどうか。 生きてるうちに宇宙へ行きたいという人はけっこういるんじゃないだろうか。まあ50年後くらいにはもっと大気圏外への旅行とか、もしかしたら月旅行くらいは普及してるかもしれない。 ターミナルケアとかいろいろあるけどその辺はとりあえずおいといて、病院に閉じ込められるような最期を考えるといっそ終末期の人間を深宇宙に送り出すのも1つの選択肢なんじゃないだろうか。 本人の意思のみに基づき、死後地球に戻らなくてもいいとするとどんな感じだろう。 地球から月までアポロで3日間、余命数週間なら月は越えれそうか。フェニックスが火星に到着するのに1年、この辺ですでに余命予測は難しいかもしれない。冥王星探査機ニュー・ホライズンズが冥王星に最接近するのに9年。生命維持とか以前にすでに終末期とかじゃないから色々無理だ。 機体の重量や被曝対策
<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年06月02日 (月)視点・論点 「意外な文化遺産」 ベルリン自由大学教授 イルメラ・日地谷・キルシュネライト 私は今、あるドイツの出版社に頼まれ、一冊の本を準備しています。世界の色々な都市の文学散歩というその出版社のシリーズに、東京を加えたいと頼まれたからです。それ以来、いろいろと考えてきましたが、激しく変貌をとげてきた東京という都市で、昔の雰囲気を今だに保っている、近代文学に登場した場所を紹介するのは容易ではありません。 三島由紀夫の“宴のあと”の舞台となった、美しい庭園のある料亭を紹介するとしても、ごちゃごちゃした街や交通の騒音の中を長い間歩くことなしに、どうやって他の文学的史跡へと導くことができるのでしょう? もちろん、関東大震災や戦争により、東京の古い町並みの多くが破壊されたことは知っていますが、オリジナルの史跡を
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