とても精神的に負担のかかる作業なのですが、やっといろいろなことが片付いてきて、亡くなった義姉の最期や、その後のことをモレスキンに書き込みつつあります。 それまでの経緯や、その日にあった出来事をすべて自分の記憶と印象のままにページの上に凝縮してゆく作業は息が詰まります。遺品整理中に私は記憶を残すための手がかりになりそうな写真をかなり撮ってありましたが(上の写真は無関係)、それをところどころに貼りつけながら、気の重い作業は何ページも何ページも続きます。 しかしなぜそこまでするのか? 私は直接の親戚ではありませんし、それほどよく彼女のことを知っていたわけでもありませんので、どうしてそこまで記憶の保全にこだわるのかというのは自分でも不思議に思っていました。 でもやはり、どうしても書かれなくてはいけないことがあって、それは手帳でなくてはいけないのだと思うのでした。### 語られなかったことを求めて