小幡績さんが書いた「小泉にあって橋下市長にないもの」それは竹中平蔵、という面白いコラムに刺激され、考えました。橋下市政より現政権の国政の方が問題を抱えているではないか、と。 政治の役割は「企画・議論」より「決断・実行」です。熱量でいうと1:9ぐらいの比重とみてよいでしょう。自民政権では、前者を霞ヶ関、後者を永田町が担当していました。正確には、「企画・議論・実行」を霞ヶ関、「決断」を永田町というところが実態。 しかし、戦後復興、安保紛争、中ソ国交、沖縄返還、オイルショック、政治の季節が過ぎ、政治家も小粒になるにつれ、霞ヶ関:企画・議論が永田町:決断・実行のパワーを上回りすぎ、バランスを崩していきました。 そのバランスをいったん引き戻したのが小泉ー竹中ライン。竹中さんは小泉さんを乗せ、企画を続けました。小泉さんは竹中さんに乗り、決断を続けました。そして、小泉政権は政治主導でしたが、実は官僚機構
![熟議より決議 --- 中村 伊知哉](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5ca3e12d98a36e5b182766185b63cd33c26a509a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fagora-web.jp%2Fcms%2Fwp-content%2Fuploads%2F2021%2F07%2Fagora-twitter.jpg)