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ブックマーク / db.10plus1.jp (2)

  • チャールズ、チャールズ──ポスト・モダンの折衷主義と保守主義 | 五十嵐太郎

    チャールズ、チャールズ──ポスト・モダンの折衷主義と保守主義 | 五十嵐太郎 Charles vs. Charles: Postmodern Eclecticism and Conservatism | Igarashi Taro 二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築言語』(一九七七)は、このように第一部の冒頭でミノル・ヤマサキが設計したプルーイット・アイゴー団地が爆破された事件を劇的に紹介する★一[図1]。この団地は犯罪率が高く、建物が破損されつづけ、何度も修理を試みたのだが、結局、ダイナマイトで破壊されることになってしまった。なにが失敗だったのか。ジェンクスは、高層アパートがCIAMの理念にもとづき建設され、「居住者の建築コードと一致しない純粋主義者の言語によって

    チャールズ、チャールズ──ポスト・モダンの折衷主義と保守主義 | 五十嵐太郎
  • 景観は記号ではない | 五十嵐太郎

    掲載『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?, 2006年07月10日発行) pp.94-103 日橋と首都高 今年(二〇〇六)の二月、江戸東京博物館を久しぶりに訪れた。水の都市として東京を再考するリサーチとプロジェクトの集大成となる「東京エコシティ──新たなる水の都市へ」展を見るためである。歴史的な資料から建築家による未来的なプロジェクトまで、内容は多岐にわたるが、水辺空間の魅力を再発見し、その可能性を引きだす方法を提示するものだった。実は、この企画に関わった東京キャナル・プロジェクト実行委員会のシンポジウムに司会として参加し、筆者は日橋の問題を考えるようになった。あるパネラーの発言により、美観を名目として日橋の上の首都高を撤去することが検討されていることを初めて知ったからである。とはいえ、当時はまだ実現性の低いプロジェクトだと思われた。しかし、二〇〇

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