自然法哲学者のトマス・ホッブスは、ヨーロッパの歴史で最大の激動期の一つに暮らしていた――結果として、かれの理論が人間の本性について徹底的に悲観的なのも、まあしょうがないか。 マームズベリーの近くに生まれ、貧しかった国教会牧師の父親が早くに亡くなってしまったので、若きトマス・ホッブスは裕福な叔父さんに育てられた。14 歳の時にオックスフォードのモードリン・カレッジに入学して、5 年後に学士号を取っている。1608 年には、デヴォンシャー伯爵であるウィリアム・キャヴェンデイッシュの息子の家庭教師になった。おかげで古典に没頭する時間ができた。アリストテレス学派の、言葉の曲芸みたいな思想に嫌気がさしたホッブスは、歴史家ツキジデスの熱心な信望者になっていった(ホッブスは、彼の本を 1628 年に訳出した)。1610 年に最初のヨーロッパ遊学を終えた後で、フランシス・ベーコンと知り合いになる。でも科学
西洋文明における経済の研究は、もっぱらギリシャ人が始めたものだ。特にアリストテレスとクセノフォンが中心で、それ以外の作者もちょっと貢献している。こういう人たちを、ここでは「古代派」と呼ぶことにしよう。「スコラ学派」は、13-14 世紀の神学者たち、特にドミニコ修道会の聖トマス・アクイナスを中心とする一派で、12 世紀のイスラーム学者たちの手によるギリシャ哲学再興を受けて、カソリック教会の教義を確立した。経済学の領域だと、スコラ学派が特に関心を持っていたテーマを4つ指摘できる。財産、経済取引における正義、お金、利息だ。 キリスト教の教義と私有財産の共存は、昔からあまりすわりのいいものじゃなかった。5 世紀には、初期キリスト教教会の父祖たち (the "Patricians", たとえば聖アウグスチヌスなど) が「共産主義的」キリスト教運動を打倒して、教会自身がすさまじい財産を蓄えるようになっ
ヨーロッパにとって、17 世紀は「最悪の世紀」だった。絶え間ない国家戦争、宗教戦争、内戦に襲われ、それも実に野蛮な残虐さで有名なものばかり。その瓦礫の中から国民国家が形成され、それが宗教改革にインスパイアされたグロチウス、ホッブス、プフェンドルフなどによる、契約に基づく「自然法」哲学の中で大きな基盤を獲得する。 17 世紀は国家が台頭した時代だったから、国家が必要とする二種類の階級の出現がその特徴だ。国を運営する官僚と、そのお金を出す商人だ。重商主義は、こうした実務家たちの小冊子や研究や協定がたくさんあわさることで発達した。イギリスとオランダでは、経済著作の大部分は台頭するブルジョワコミュニティ出身の商人 (merchants) たちが書いた――だから重商主義 (Mercantilism)ということばがでてきた。フランスとドイツではブルジョワ階級が小さかったので、経済議論はもっぱら国の役人
重農主義者たちは、フランスの宮廷医師、フランソワ・ケネー (François Quesnay) を中心とする 1760 年代のフランス啓蒙思想家の一団だった。重農主義ドクトリンの発端となった文書はケネーの『経済表』 Tableau Économique (1759) だ。グループの中核はミラボー侯爵、メルシエ・ド・ラ・リヴィエール (Mercier de la Rivière)、デュポン・ド・ヌムール (Dupont de Nemours)、ラ・トロズネ (La Trosne), ボードー神父 (Abbé Baudeau)、その他数名だった。同時代人たちには、単に économistes と呼ばれていた。 重農主義ドクトリンの要石は、フランソワ・ケネー (1759, 1766) の命題である、剰余――かれが呼ぶところの produit net (純生産)を生み出すのは農業だけだ、という考え
イスラム国躍進の構造と力 『公研』2014年10月号 「対話」 池内恵 VS 山形浩生 山形:イスラーム国の人たちの言動や行動を見ると、ずいぶんと前近代的で昔に戻ったかのような印象を受けます。その一方で彼らの意識には、中東の民主化への動きとも言える「アラブの春」が大きく関係しているのだと思います。池内さんは今回のイスラーム国の登場と「アラブの春」の関係をどのように捉えていらっしゃいますか。 池内:「アラブの春」が一回りしたことで中東地域に生まれた環境は、イスラーム国にとって非常に都合の良いものになりました。その環境と言うのは、中央政府の揺らぎ、弱体化であり周辺領域の統治の弛緩です。そこに、元来イスラーム国が依拠するイスラーム過激派の戦略論がぴたりと合わさった。9・11テロに対して、アメリカは大規模な対テロ戦争を展開し、イスラーム過激派は軍事的にも情報的にも経済的にも追い詰められました。それ
ハーバート・A・サイモンが、ミクロ経済学に革命じみたものを起こしたと主張する人は多い。その革命とは、組織の中の不確実性下における「意思決定」という概念だ。サイモンによればこれは、主流ミクロ経済学で想定される「合理的人間」とはかけ離れたものだ。こういう批判を述べたのはもちろん、サイモンが始めてというわけではないが、でも知名度はサイモンが圧倒的に高い——そしておかげで1978年には ノーベル祈念賞をもらっている。 サイモンが経済学に手を染めたのは、 コウルズ委員会 でのことだった。だからその最初の論文いくつかは、同委員会の色が濃い。特に重要なのは、非負正方行列の「ホーキンス・サイモン条件」を明らかにした1949年論文だ。 サイモンはその後、産業組織の研究をはじめ、あれこれ見つけた中で特に注目されたのは、企業の内部組織と、企業の外的な事業上の意思決定が、新古典派理論にいう「合理的」意思決定にはち
J.G. ∗ 2003 6 24 -7 12 Ver.1.0.1 1 1 2 2 2.1 SF . . . . . . . . . . . . . . . . 2 2.2 . . . . . . . . . . . . . . . . 5 2.3 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7 2.4 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 9 2.5 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10 3 10 4 12 1 J.G. SF ∗ c 2003 YAMAGATA Hiroo http://www.
最近の噂 風の噂ではございますが…… なお、リンクする場合には各コメントの日付のあとにある「id」をクリックすると、そのコメントのユニーク id が url 欄に表示されるぞ。 2011/6 なぜかスタバの全店で、シナモンが引き上げられている。どうしてだろう? 毒入りシナモンでも出回ってるのか?(2011/6/22, id) ときどきツイッターって挙動がよくわからなくて困惑することがある。実は『ぼくらはそれでも肉を食う』についてこんなご指摘 (画面) をいただいた。まちがっている箇所をうかがったところ、ツイート削除のうえご本人のブログでご回答をいただき、二つほど例をもらった……はずが、ツイートはなぜか復活 (よいことです)、コメントも消えている (キャッシュには残っているので、夢ではないはず。これはこの人が意図的に消したんだろう)。ツイッターって消したコメント復活できるの?(付記:削除して
経済学者は進化理論家から何を学べるだろうか。 What Economists Can Learn From Evolutionary Theorists (ヨーロッパ進化政治経済協会での講演, 1996/11) Paul Krugman 山形浩生 訳 おはようございます。進化論的政治経済を専門にする人々に向かってお話するというので、大いに名誉だと思う一方で、ちょっと不安でもあります。すでにご存じかと思いますが、わたしは進化経済学者というわけじゃ必ずしもありません。自分が多くの人よりも経済学に対するオルタナティブなアプローチには好意的だと思いたいところですが、でも基本的にわたしは最大化と均衡を奉じるような輩です。それどころか、多くの場合にはわたしは、標準の経済モデルの重要性を熱烈に擁護する立場にまわります。 じゃあなぜこんなところにきたのか? ええ、理由の一つは、わたしの研究が新古典派パラダ
ホワイトカラー真っ青 White Collars Turn Blue ポール・クルーグマン 山形浩生訳 読者への註。この文は、ニューヨークタイムズ誌の100周年記念特別号のために書かれた。このとき与えられた指示というのは、これがいまからさらに100年後の記念号用の文だと思って、それまでの過去1世紀をふりかえって書いてくれ、というものだった。 過去をふりかえるときには、いろんなことを大目に見るよう心がけないとね。20世紀末の観察者が、来る世紀についてすべてを予言できなかったといって責めるのは、不公平ってもんだ。長期的な社会予測は、今日でもまだ厳密な科学とはいいがたいし、1996年には現代の非線形ソシオエコノミクス創始者たちは、まだ名もない大学院生にすぎなかった。それでもその当時ですら、経済的な変化を駆動する大きな力が一方ではデジタル技術の絶え間ない進歩で、一方ではそれまでの後進国へ経済発
要約: グーグルがすべてを支配して知のあり方もグーグル検索ですべてすむようになると思っている人たちは、グーグルがどうやって検索結果を出すのか忘れている。あれは少数の人が既存の知的体系に基づいてページやリンクを作成するからこそ、それを参考に正しい検索結果が出る。したがって、それが完全に置き換わることはあり得ない。全員がグーグルに頼るようになったとき、グーグルはまったく役にたたなくなる。 梅田望夫『ウェブ進化論』なんかが話題になったりして、ずいぶんとグーグルが持ち上げられている。瀬名秀明によれば、グーグルは神でその検索結果はご託宣だという人までいるとか。東浩紀はこれを「検索と共有のエピステーメー」という。「彼らの夢は、人間社会が生み出すあらゆる情報をネットワークを介して連結し、検索可能にする巨大な『情報発電所』の建設にある」んだって(*2, p.134)。人の人生すべてを記録するライフログと結
山形浩生 スロウィッキー『「みんなの意見」は案外正しい』(角川文庫) 解説) 要約:みんなの意見は案外正しいが、まちがっていることもあるうえ、だれも責任をとれないし、またそれが計算のやり方次第で構築されるものだという認識も必要。でもそれさえわきまえれば、新時代の新しい常識生産の可能性がここにはある。ついでに、これが普及すればこれまでの常識の担い手である年寄りの地位は低下することになり、別の含意が出てくるが…… この本は、「みんなの意見」つまりいわゆる集合知についての本だ。傑出した(とされる)専門家の見解よりも、ふつうの人々の意見や感覚をまとめたほうが、予測精度の高さや適応力の高さを示すことがある。そしていまや、それを積極的に活用しようという試みがいろいろ見られるようになった。なぜそれが可能なのか? その可能性と留意点はどこにあるのか? さて本書のテーマは、最近ではかなりあちこちで話題になっ
ぼくの研究作法 How I work (The American Economist, 1993) Paul Krugman Liddy 訳 + 山形浩生チェック このエッセイでぼくが公式に依頼されているのは、自分の“人生哲学”について語ることだ。はじめにはっきりさせておきたいんだけど、ぼくはこの指示に従うつもりはない。だってぼくは人生一般について何か特別なことを知っているわけではないもの。確かシュムペーターだったと思うけれど、彼は自分が故郷のオーストリアで最高の経済学者であるのみならず、当代きっての乗馬の名手で、あっちのほうも精力絶倫だぜとのたまったとか。ぼくは馬には乗らないし、それ以外の方面についても自分に幻想は持ってない(でも、料理はかなり得意だよ)。 このエッセイでぼくが伝えたいのはもっと限定されたことだ。つまり、ものを考えること、特におもしろい経済学をやるにはどうすればいいか、と
貧困の基準について (The Economist Vol 387, No. 8580 (2008/5/22) p.87, "On the poverty line") 山形浩生訳 (hiyori13@alum.mit.edu) 「一日一ドル」はもうおしまいか? 2007 年 12 月、世界銀行は史上最大のウィンドウショッピングの結果を公開した。世界146ヶ国の調査員たちが、屋台やスーパーマーケットや通販カタログをあれこれ調べ、デュラムセモリナスパゲッティ 500 グラムパックから、ヒールの低い婦人靴にいたる、1,000 件以上の品目の価格を記録したのだった。 この大がかりな事業のおかげで、世銀は 2005 年における多くの国の購買力を比べられるようになった。結果は、統計的に驚かされるものも多かった。たとえば中国の物価は、初期の推計で出てきたよりずっと高かった。つまり 2005 年の中国人の
Foucault as Historian キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle) (Critical Review of International Social and Political Philosophy Vol 1, No 2, Summer 1998, pp 5-35, Robert Nola (ed.) Foucault, Frank Cass Publishers, London, 1998 にも再録) 要約: フーコーの「歴史」と称するものはいい加減であり、実際の歴史とは全然対応していない。実際の歴史と並べてみると、フーコー流の「知」の考古学や系譜学はでたらめ。かつて中世にキチガイがうろついていたのは、連中が人間として権利を認められていたからではなく、人間以下の動物としか思われていなかっただけのこと。精神病院に入れたのは、別に人間以下のも
原文はこちら、(c) Copyright JASSS アクセルロッド『対立と協調の科学』書評:「しっぺ返し」はそんなにすごいものではありません Ken Binmore ELSE, Economics Department, University College London. (1998, JASSS vol 1, no 1.) 要約:ゲーム理論の偉い人、ビンモアによるアクセルロッド&「しっぺ返し戦略」称揚に対する強い批判。アクセルロッドは前著『つきあい方の科学』で反復型囚人のジレンマゲームのコンテストを開催し、ラポポートの「しっぺ返し」戦略がもっとも有力だった(そしてそれを進化型ゲームに適用しても有力だった)ということを根拠に、しっぺ返しがあらゆる協力の発生と成長の根幹となる原理だ、といわんばかりの主張を行い、それが一人歩きしている。でもこれが成功するのはごく一部の状況で、安易に一般化で
『論座』も必ずしも読むところがないわけではないこと。 (2007/09/04) 山形浩生 要約:『論座』で、立岩真也の書評に対する小畑清剛の反論が投書欄に掲載されているが、それがこの手の論者にありがちな打たれ弱いダメさ加減を露骨にさらしていて大変に参考になります。 『論座』10月号を送ってきたんだけれど、相変わらず読むところの少ない雑誌ではあって、『諸君』とかに対抗してアカピーの牙城を死守しようとしてグズグズになっている。今回もあんまし読むところはない。内田樹の安倍政権に関する特集の文章は、何やら安倍政権でなくても全然かまわない時事性のまったくない文で、しかも批判している構図に自分の文がまさにぴったりあてはまるという自覚を徹底的に欠いただらしない代物。意見のちがう人も許容しましょうなんていう小学生の学級会みたいなことを言うのに、いちいち「他者」とかなんとか言う必要あるんですか? ついでに、
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