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考古学に関するholyagammonのブックマーク (240)

  • 奈良・中西遺跡:弥生前期最大の水田跡 高い計画性と技術 - 毎日jp(毎日新聞)

    奈良県立橿原考古学研究所は8日、同県御所市條の中西遺跡で、弥生時代前期(約2400年前)としては国内最大の水田跡(約2万平方メートル)を発見したと発表した。水田が河川の氾濫による土砂で埋まった後、大規模開発などが行われなかったため地中に残っていたとみられ、橿考研は「当時の水田開発の仕方が非常によく分かる発見」と評価している。 発掘調査は京奈和道のインターチェンジ工事に伴い今年4月から約1万3500平方メートルで行われている。 同遺跡は緩やかな傾斜地。水田跡は約850枚あって、いずれもあぜ道で細かく区切られ、1枚あたり東西4メートル、南北3メートルほどの小さなものが多かった。水田に水をためるためには、地面を水平にする土木工事が必要で、橿考研は「1枚あたりの面積が小さいのは、土木工事の労力を抑えるためでは」とみている。 今回の調査では、水田跡が約9000平方メートル見つかり、過去の調査で確認さ

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    holyagammon 2011/11/09
    一枚一枚は狭かったのだ
  • イタリア:手つなぎ地中で1500年 男女の人骨発見 - 毎日jp(毎日新聞)

    英紙デーリー・テレグラフ(電子版)は6日までに、イタリア北部モデナにある古代ローマ遺跡から10月、手をつないだ男女の人骨が発掘されたと伝えた。埋葬時はお互いを見つめ合う姿勢だったとみられ、約1500年ぶりに地上に姿を見せた強い絆が話題を呼んでいる。 2人の埋葬時期は西ローマ帝国が終末を迎えた5~6世紀ごろとみられるが、年齢や関係は不明。手をつないでいることから、恋人か夫婦の可能性があり、研究者は「多くの発掘に携わったが、こんなに感動したのは初めてだ」と話している。(共同)

  • 古代の横須賀「海の民」?遺跡から人骨2体と石棺、市内で相次ぎ発見/神奈川:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

    古墳時代(3世紀半ば~7世紀末)のものとみられる墓が、横須賀市内で相次いで発見された。いずれも埋葬された人骨が良好な状態で見つかった。市民の関心も高く、現地の見学会も大勢の参加者を集めている。古代の横須賀に暮らしていた人々の素性を解くカギになるか、今後の調査に注目が集まる。 人骨が見つかった八幡神社遺跡は、現在は市立久里浜中学校(同市久里浜)の敷地内にある。学校の武道場を建てるための文化財発掘調査の現場だった。これまで2回にわたって現地で開かれた見学会には、計800人以上が参加している。 まず9月16日に男性の骨が見つかった。石でつくったひつぎ(石棺墓)の内部に、胸から下の骨が横たわっていた。推定身長は157~159センチとみられる。 10月13日には、7メートル離れた場所で女性の骨が発見された。今度は土に掘られた穴(土坑墓)で、頭部から足までの全身を保った骨だった。歯の摩耗が少なく

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    holyagammon 2011/11/06
    "石棺は、先が細くなった舟のような形"
  • これが元寇船…全長20m以上、「てつはう」も : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    発掘され海底に横たわる元寇船。左が船底の背骨にあたる竜骨。中央部から右にかけてが船底の外板材。竜骨に直交し黒く見える部分が隔壁の痕跡=琉球大学考古学研究室提供 元寇(弘安の役、1281年)の舞台となった長崎県松浦市・鷹島沖で発見された元軍の沈没船の写真を24日、琉球大の調査チームが公開した。 マストなどの上部構造は失われていたが、船底の背骨にあたるキール(幅50センチ、長さ12メートル)の両側に、船底、船腹の外板材(幅15~25センチ、長さ1~6メートル)が整然と並び、原形をとどめていた。肋骨にあたる肋材や隔壁の痕跡も確認できた。船体は調査範囲(10×15メートル)外に続いており、全長は少なくとも20メートルに達するとみられる。 船体上には中国の陶磁片約100個や、船のバランスを保つ重りとなる磚(レンガ)300個以上が散乱。元寇絵巻『蒙古襲来絵詞』で描かれた元軍の破裂弾「てつはう」の破片も

  • asahi.com(朝日新聞社):「日本」呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見 - 文化

    印刷 上の方に「日」の文字が見える。「最古の日」の可能性が高い=「社会科学戦線」7月号、王連竜氏の論文「百済人祢軍墓誌考論」から  中国の古都・西安で見つかった墓誌(故人の事績を刻んで墓に収めた石板)に、「日」との文字があることを紹介する論文が中国で発表された。墓誌は678年の作と考えられるとしている。日と名乗るようになったのはいつからなのかは古代史の大きななぞ。大宝律令(701年)からとの見方が有力だったが、墓誌が物ならさらにさかのぼることになる。  中国の墓誌を研究する明治大の気賀沢保規教授(中国史)によると、論文は吉林大古籍研究所の王連竜氏が学術雑誌「社会科学戦線」7月号に発表した。祢軍(でいぐん)という百済(くだら)人の軍人の墓誌で1辺59センチの正方形。884文字あり、678年2月に死亡し、同年10月に葬られたと記されている。  百済を救うために日は朝鮮半島に出兵した

  • 英スコットランドでバイキング船発掘、史上最高の保存状態

    英スコットランドのアードナマーカン(Ardnamurchan)半島で、バイキング船に埋葬されていた剣のX線写真(2011年10月19日撮影)。(c)AFP/AOC/PIETA GREAVES 【10月20日 AFP】英考古学チームがスコットランドで、1000年ほど前に埋められたとみられる非常に保存状態の良いバイキング船が発掘した。英国内でここまで完璧な状態のバイキング船が発見されるのは初めてという。 アードナマーカン(Ardnamurchan)半島で発掘された全長5メートルの船には、高位のバイキングの遺体が剣やおの、やり、金属製のびょう200個とともに収められていた。盾の一部や銅製のリングピン、砥石、陶器なども見つかった。 発掘プロジェクトは、マンチェスター大学(University of Manchester)とレスター大学(University of Leicester)の考古学者が中

    英スコットランドでバイキング船発掘、史上最高の保存状態
  • 神風で沈んだ元寇の軍船、長崎・松浦沖で発見 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    長崎県松浦市・鷹島沖の伊万里湾で、鎌倉時代の元寇(弘安の役、1281年)で沈んだ元の軍船が見つかった。 発掘を続けていた琉球大法文学部の池田栄史教授(考古学)が、20日明らかにした。鷹島周辺ではこれまで元軍の船材の一部やいかり石、砲弾などが見つかっていたが、船体がまとまって見つかったのは初めてで、画期的な発見となる。 鷹島の南の水深20~25メートルの海底を約1メートル掘り下げた地点で昨年発見され、今年9月30日から格的な調査を行っていた。10メートル×15メートルの調査範囲で、船底の背骨にあたる幅50センチ、長さ15メートルのキール(竜骨)と、その両舷側2~5メートルの範囲で、幅15~25センチ、厚さ10センチ、長さ1~10メートルの船底・船腹の板材が多数見つかった。船体の構造の特徴のほか、船材上に中国陶磁器の破片や中国特有のレンガである「磚(せん)」があったことから、元の軍船と判断し

  • 福島で「縄文時代に震度7」 巨大な地割れ“発掘”+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    掘っても掘っても、底が見えない溝。「まるで地面に開いた大きな口。自分は一体何を発掘しているんだろう?」。1990年秋、福島県相馬市の段ノ原B遺跡を調査していた県文化振興事業団の吉田秀享副主幹は、連日頭を悩ませていた。 宮城県境に近い丘陵上に広がる縄文時代前期の大集落跡。最も栄えた約6000年前は、約4万7000平方メートルの範囲に約100棟の竪穴住居があった。 ジグザグに延びる奇妙な溝が現れたのは、丘陵の肩に近いムラ東端。長さ約90メートル、幅4~5メートル、深さ2メートル以上もあり、底から大量の土器や木を燃やした跡が見つかった。 「地割れですよ」。謎を解いたのは、石材の調査に訪れた地質学者だった。周囲には、地滑りで左右がい違った地層もあった。 「地震考古学という言葉も知らなかった。驚きました」。溝の中にあった土器から、地震はムラの最盛期と考えられた。 段ノ原B遺跡は、宮城県亘理(わたり

  • 契丹文字:ロシアとモンゴルで冊子と石碑発見 解読に期待 - 毎日jp(毎日新聞)

    中国北方に10世紀にできた遼王朝で使われた「契丹(きったん)文字」の冊子と石碑がロシアとモンゴルで相次いで見つかったと中国や大谷大(京都市)の研究者が30日、東京都内で発表した。契丹文字は多くが未解明。「冊子が見つかったのは初めて」としており、解読への期待が高まっている。 発表した松川節大谷大教授らによると、契丹文字は漢字を参考にしたとされる「大字」と、これとは別の「小字」があり、今回の史料はいずれも大字で書かれていた。 冊子は、ロシア科学アカデミーの研究所の図書館に保管されていたが、中国社会科学院の孫伯君研究員が契丹文字だと指摘した。麻紙に記され、全部で80ページほど。1ページに6行、1行20字程度あった。 松川教授らのグループは、モンゴルのゴビ砂漠に立つ石碑(高さ約180センチ)が契丹文字で記されているのを昨年、発見した。文字は縦書きで7行、150字ほどあった。墓誌以外の碑文に記されて

  • 楼蘭で農耕地跡発見 中国 - MSN産経ニュース

    2日の新華社電によると、中国科学院地質・地球物理研究所の研究者は、紀元前からシルクロードのオアシス都市国家として栄えた「楼蘭」の遺跡で、広大な農耕地跡が確認されたと明らかにした。これまで歴史資料から農耕が行われていたことは分かっていたが、遺跡は発見されていなかったという。 同研究所は、遺跡が区画分けされ、かんがい用水路を備えていたことなどから農耕地と判断。楼蘭遺跡からは幅10~20メートルの運河跡も見つかっており、「豊富だった水資源が枯渇し、かんがい農業が衰退したことも王国滅亡の原因の一つとなった」と推測している。 楼蘭遺跡は新疆ウイグル自治区にあり、19世紀末から中央アジア探検を重ねていたスウェーデン人、ヘディンによって発見された。(共同)

  • 雑記帳:黄門さまの居城から「お宝」発見 - 毎日jp(毎日新聞)

    水戸徳川家の三つ葉葵の紋が入った鬼瓦=水戸市三の丸の茨城大学教育学部付属小学校で2011年9月30日午後3時4分、山崎明子撮影 水戸黄門・徳川光圀の居城、水戸城の二の丸角櫓(すみやぐら)跡から、三つ葉葵(あおい)の紋が焼き込まれた鬼瓦が出土したと水戸市教委が30日、発表した。8日から市埋蔵文化財センターで展示する。 水戸城は鎌倉時代の建造。複数の城主を経て水戸徳川家の居城となった。市教委によると、徳川一族の中でも三つ葉葵紋を鬼瓦に施している例は少なく、御三家の威光を誇示したものとみられるという。 TBS系の長寿時代劇「水戸黄門」の放送が年内で終了することが決まり、観光振興への影響が懸念される中での「お宝」発見。関係者の間では黄門さまの印籠(いんろう)同様の効果が期待されている。【山崎明子】

    holyagammon
    holyagammon 2011/09/30
    "関係者の間では黄門さまの印籠(いんろう)同様の効果が期待されている。"
  • asahi.com(朝日新聞社):土砂災害、縄文人も苦しむ? 福井・若狭 集落移転跡か - 文化

    印刷 「転居先」とみられる住居跡。手前が入り口=福井県若狭町鳥浜  丸木舟や土器などが大量に出土し、「縄文のタイムカプセル」と呼ばれる福井県若狭町の鳥浜貝塚で形成されていた集落が、縄文時代前期の約5千年前、土砂災害のために近隣に引っ越したとみられることが分かった。同町立若狭三方縄文博物館の調査で、約500メートル離れた当時の湖岸付近に、移転先の可能性が高い住居跡が確認された。  鳥浜貝塚は1万2千〜5千年前の集落跡。櫛(くし)などの漆製品や籠、布も見つかり、出土品1376点は国の重要文化財に一括指定されている。ただ、この時期よりも新しい遺物はほとんど発見されていない。  同博物館は8〜9月の調査で、貝塚の西方にあり、「古三方湖」と呼ばれる当時の湖の岸辺に位置する「ユリ遺跡」で、縄文中〜後期(4500〜3500年前)の住居跡を発見。1990年から過去4回の調査で計9隻の丸木舟が出土していたが

  • ナスカよりも古くに描かれた「地上絵」中東で数千個発見 – ロケットニュース24(β)

    中東で驚くべき歴史の遺産が発見された。地上絵といえば、南米ペルーのナスカの地上絵が有名なのだが、それを上回る規模の地上絵が中東のシリア・ヨルダン・サウジアラビアなどの国々で発見されたのである。しかも、ナスカよりも古くに作られた可能性があるというのだ。 この発見に考古学者や歴史学者は当惑しているという。 これらの地上絵は、衛星による航空写真技術で発見された。描かれているのはストーンホイール(石の車輪)と見られている。描かれたのは2000年前と推定されており、ナスカのものより古い可能性も指摘されている。このことに考古学者らは衝撃を受けているようだ。 このことについて、西オーストラリア大学の古代史・古典学のデビッド・ケネディ教授は「ヨルダンを中心に広範囲にわたって、ナスカよりも多く、そして古いものが発見されている。この地域に住む人々は、古くからこの地上絵の存在を知らず、そのうえを歩き回っていたよ

    holyagammon
    holyagammon 2011/09/22
    大きさがわからん
  • 「庚寅」干支入り大刀:福岡で出土 日本書紀裏付け - 毎日jp(毎日新聞)

    「庚寅(こういん)」の干支の入った文字が刻まれていた、「庚寅」銘鉄製大刀のX線写真。背の部分に「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」(□は「練」の可能性)と刻まれている=福岡市教委提供 福岡市教委は21日、同市西区の元岡古墳群G6号墳(7世紀中ごろ)で、干支(えと)で570年を意味する「庚寅(こういん)」の文字を刻んだ象嵌大刀(ぞうがんたち)が見つかったと発表した。記された月日の表記は、朝鮮半島の百済から暦を導入したとする日書紀の記述を裏付けるもので、暦使用の実例としては日最古となる画期的な発見となった。 古墳出土の銘文入りの刀剣の発見は今回で7例目、うち干支や年号が入った紀年銘は4例目。いずれも1980年代までの発見で、出土自体も非常にまれ。 市教委によると、G6号墳(直径約18メートル)の横穴式石室を調査中、7世紀中ごろの土器と共に鉄製大刀(75センチ)が見つかった。X線撮影の

  • 【東日本大震災】文化財は“邪魔者”? 保護か開発か、揺れる被災地+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    文化財の保護か、被災者の生活か。東日大震災で津波の被害を受けた岩手県沿岸部の高台にある遺跡をめぐって、議論が起きている。高台が少なく、移転候補地になり得るが、利用に厳しい規制があるためだ。「来なら貴重な文化遺産なのに」「規制緩和してほしい」。地域の誇りとなるはずの遺跡に、人々の思いは揺れている。(渡辺陽子) 「史跡ってのは、命より大切なのか」。9月中旬、岩手県大船渡市蛸ノ浦地区で開かれた復興住民会議で住民が声を上げた。 同地区は約50世帯が津波で被災。20世帯以上が、地区の高台にある国指定史跡「蛸(たこ)ノ浦貝塚」への集団移転を求めていた。史跡の地権者も15人中7人が家を失った。 蛸ノ浦貝塚は標高約35メートルの丘に広がる。約5万5千平方メートルが国の史跡に指定され、縄文時代の土器や人骨、住居跡などが大量に出土。貝層の厚さは最大2メートル以上あり、規模と保存状態の良さから日屈指の大貝

  • 琵琶湖底に水没集落の墓地か 430点の石群発見 - MSN産経ニュース

    クリックして拡大する琵琶湖に沈んだ集落の墓地にあったとみられる五輪塔の一部=滋賀県長浜市祇園町沖の琵琶湖底(滋賀県立大琵琶湖水中考古学研究会提供) 大地震で集落が水没したとの伝承が残る滋賀県長浜市沖の琵琶湖底から、供養塔や石仏の一部など石群約430点が見つかり、中井均・滋賀県立大准教授(中世考古学)が指導する同大の学生グループが12日、発表した。中井准教授は、16世紀後半の地震で集落が地盤ごと地滑りして水没したとみている。 調査したのは、中井准教授が指導する県立大の学生グループ「琵琶湖水中考古学研究会」。「西浜村」という集落が湖底に沈んだとの伝承があり、素潜りで調査した。長浜市祇園町沖約100メートルの湖底(水深約1メートル)で、東西38メートル、南北26メートルにわたって分布する石群を見つけた。 供養塔などに使われる五輪塔の一部や、石仏の上半身部分など、墓地に使われたとみられる石があり、

  • asahi.com(朝日新聞社):大阪の「空白の中世」埋めるかも 法安寺?の礎石発掘 - 文化

    印刷 「法安寺」跡とみられる土壇の上の白い礎石(杭3は戦後の建物跡)=大阪文化財研究所提供    浄土真宗中興の祖・蓮如(1415〜99)が建てた石山願寺(大坂願寺)推定地(大阪市中央区)の南東で、室町時代の礎石建物跡が見つかった。願寺の進出前からあった法安寺(ほうあんじ)の一部とみられる。同寺の可能性がある遺構が確認されたのは初めて。調査した大阪文化財研究所は「大阪の“空白の中世”を埋める貴重な資料」としている。  遺構は、現在の大阪城天守閣付近にある石山願寺推定地の約600メートル南東で見つかった。周囲に溝を巡らせた東西7メートル、南北4メートル以上の土壇(高さ約50センチ)があり、均等に礎石が並んでいた。1辺5.5メートルの正方形の仏堂のような建物とみられる。出土した瓦や土器の種類から、室町時代の建立の可能性が高い。  土壇の下からは焼土や炭を含む平安時代末〜南北朝時代の大

  • 国内唯一?空襲から列車守る壕に文化財指定運動 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    昭和戦争末期、米原駅の列車を空襲から守るために造られ、終戦後はごみ捨て場にされていた「列車壕(ごう)」(滋賀県米原市岩脇(いおぎ))について、文化財指定を目指す動きが出ている。 地元住民らが2年前に清掃するなどして整備し、市に2月、指定の可能性を打診した。文化庁記念物課によると、戦争遺跡の壕の多くは戦闘機を隠す「掩体(えんたい)壕」で「列車壕は聞いたことがない」といい、住民らは「指定文化財になれば、保存が今より容易になる。貴重な列車壕を後世に残し、戦争の悲惨さを伝えていきたい」と期待している。 列車壕はJR米原駅の北東約2キロの「岩脇山」(127メートル)に、全長約130メートルの貫通したものと、山の両側から掘り進められ、途中で未貫通となった2の横穴(幅2~4メートル、高さ1・5~5メートル)が南北に平行に開いている。壕内側の岩肌の様子などから、ツルハシやスコップの他、火薬などが使用され

  • asahi.com(朝日新聞社):プーチン首相、今度は考古学者? 海に潜り古代つぼ発見 - 国際

    印刷 関連トピックスギリシャロシア南部黒海沿岸のタマン半島にある古代ギリシャ都市の遺跡発掘現場で10日、自ら潜水して発見したつぼを手にするプーチン首相=ロイター  今度は、考古学者――。ロシアのプーチン首相は10日、ロシア南部黒海沿岸のクラスノダール地方タマン半島にある古代ギリシャ都市、ファナゴリアの遺跡発掘現場を訪れ、潜水具を装着して付近の海に潜った。両耳付きの古代のつぼを2個見つけ、引き揚げた。  インタファクス通信によると、プーチン氏は一部が壊れたつぼを水深約2メートルで発見した。透明度の高さが幸いしたという。発掘チームによると、つぼは紀元前6世紀のものとみられる。  プーチン氏は「こうした豊かさがあることを知るのは人類にとって面白い。世界中から観光客が来るだろう」と期待を表明。2012〜18年に約1千億ルーブル(約3千億円)を国内観光に投入し、現在の5倍に成長させる、とも述べた。

  • 「千年に一度の巨大地震の世紀」 東海・東南海・南海3連動と首都圏直下型地震も 平安時代に匹敵と地震考古学の研究者+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災規模とされる平安時代の貞観(じょうがん)地震(869年)や関東直下型地震、東海・東南海・南海地震の3連動とみられる仁和(にんな)地震など9世紀に起きた地震が、阪神大震災(平成7年)以降の地震の状況と酷似していることが、産業技術総合研究所の寒川(さんがわ)旭(あきら)・招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)の分析でわかった。近い将来に首都圏直下型や3連動型地震が起きる可能性が高いとの見解を示し、「千年に一度の巨大地震の世紀になるかもしれない」と警鐘を鳴らす。 寒川氏は、古代以降の文献史料とともに、各地の遺跡で発掘された地割れや液状化現象による噴砂などの地震痕跡を調査。9世紀前半に関東北部や東北などでマグニチュード(M)7前後の地震が相次いだ後、貞観地震が発生していることを確認した。 貞観地震は当時の歴史書「日三代実録」に、「海は猛(たけ)り吼(ほ)え、津波が怒濤(どとう)のよう