◇個性導く、会話パス 静岡市の常葉学園にある人工芝のサッカー場で、練習のために集まった20人余りの高校女子サッカー部員に、監督の半田悦子(46)が声をかけた。「体育祭、何番だった?」。常に部員たちへの心遣いを欠かさない半田らしい言葉だ。 半田は「初代なでしこ」の一員だ。日本女子で初めて五輪とワールドカップ(W杯)を経験し、世界への扉を開いた。「力がないなと思い知らされたことばかり。やりながら目標ができていった」と振り返る。 日本代表は91年、第1回W杯に出場したが、1点も取れず3連敗で予選敗退した。一旦帰国した半田はチームメート約10人と自費で再び中国へ。観客席から強豪の戦いぶりを視察し、体の小さな日本人が外国人に対抗するための策を考えた。この熱意が後に花開く。 95年の第2回W杯。サッカーが正式種目になったアトランタ五輪への切符をかけた大会だ。日本はW杯初勝利を挙げ、1勝2敗の成績で決勝