【読売新聞】 太平洋戦争の火ぶたを切った旧日本軍の真珠湾攻撃から80年が過ぎた。その攻撃の一翼を担った山口多聞中将(開戦時は少将)の三男宗敏さん(89)(相模原市南区)は「父は米国との戦争には反対していた。複雑な心境だったのではない
社長の仙田でございます。 中国新聞朝刊に、「野球サッカー伝来初期 江田島でプレー」という記事が掲載されました。サッカー王国広島を裏付ける貴重な史料の発見です。この記事に私も関わりました。この発見の意義を、かいつまんでお伝えします。 東京九段にある昭和館には、敗戦直後の米豪の撮影したフィルムが膨大に保管してあります。私は、そこにサッカーの映像を探しに行きました。 「昭和20年~24年の呉、川奈、熱海」というタイトル編に、サッカーの映像がありました。そこで、これを取り寄せ、サンフレッチェ広島のホームページ(広島サッカーの歴史ページ)に掲載しました。 場所を特定するために、広島・呉の近代史の権威 千田(ちだ)武志 広島国際大学客員教授に電話で相談すると、もっと大きな発見があって、明治23年、江田島の海軍兵学校でサッカーをしたという記録を見つけたと言われるのです。 そこで、中国新聞社の方と江田島市
太平洋戦争末期の坊ノ岬沖海戦で、戦艦「大和」とともに沈んだ駆逐艦「磯風」とみられる艦艇が海底で発見された。
太平洋戦争末期に鹿児島県沖で沈んだ日本海軍の戦艦「大和」の艦首に付けられた菊の紋章が、過去の調査を基にした想定より小さいことが、広島県呉市による潜水調査で分かった。大和は極秘に設計され、設計図も焼却されてほとんど残っていないため、不明点も多い。今回の調査を受け、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)は「他の部位の大きさも従来の見方と異なる可能性が出てきた」としている。 大和は呉市にあった呉海軍工廠(こうしょう)で建造された。市は5月、鹿児島県枕崎市沖の水深約350メートル付近で調査し、約7000枚の写真と約50時間分の映像を撮影。日本海軍の大型艦にしか付けられなかった艦首部分の菊の紋章も確認した。
太平洋戦争で米軍に撃沈され、鹿児島県南西沖に沈む旧日本海軍の戦艦「大和」を潜水調査するため、建造の地である広島県呉市は12日、平成27年度補正予算案に8千万円を計上したと明らかにした。今月開会する見通しの定例市議会に提案し、承認されれば今春にも調査を開始する。 費用には市の財源に加え、国の交付金を申請中。調査は民間業者に委託し、船上からの遠隔操作が可能な無人潜水探査機を使うという。 呉市によると昨年、戦後70年の節目を迎えたことも踏まえ、最新の技術で現状を細かく撮影し大和の資料を収集するのが目的で、写真や映像は大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)で展示する予定。船体の引き揚げは想定していない。 大和ミュージアムでは、これまでも民間事業者が撮影した大和の映像などを公開。開館10周年の昨年は、累計来館者数が1千万人に達した。呉市が、大和の潜水調査費用を予算計上するのは初めてという。
旧海軍が極秘裏に建造した戦艦の<誕生>時を紹介する企画展「戦艦大和・武蔵の進水式展―戦前戦後の時代を飾った船たち―」が12日、広島県呉市の大和ミュージアムで始まった。 当時世界最大で、完成後の写真がほとんどない2艦の進水式をコンピューターグラフィックス(CG)映像で再現、式の記念品など800点を並べ、建造に携わった人々の熱気を伝える。 かつて戦艦の進水式は5万人規模だったが、極秘に建造された「大和」「武蔵」の場合、それぞれ建造の事実を知る1000人ほどでひっそりと開催したという。 CGは、関係者の証言などを基に作成した約5分間の映像。「武蔵」の進水式で艦をつなぎ止めていた綱を切ったおの(8月2日まで公開)や、式の記念品だった海軍マーク入りの輪島塗の香入れなど貴重な品々も初公開した。 企画展の開幕式典には三木伸介・海自呉地方総監も招かれ、小村和年・呉市長は「CGでの再現は現代の技術があってこ
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藤岡歴史館が所蔵する設計図。幻の戦闘機「烈風改」を示す「M3―J」の文字がある=群馬県藤岡市、山下奈緒子撮影藤岡歴史館が所蔵する幻の戦闘機「烈風改」の設計図=群馬県藤岡市、山下奈緒子撮影藤岡歴史館が所蔵する幻の戦闘機「烈風改」の設計図。右下が破り取られている=群馬県藤岡市、山下奈緒子撮影 【山下奈緒子】太平洋戦争時の旧日本海軍の戦闘機「零戦」(零式艦上戦闘機)を設計した故・堀越二郎さんが残した資料の中から、「烈風改」の設計図が見つかった。零戦の後継機として開発が進められたが生産に至らなかった「幻の戦闘機」。群馬県藤岡市の親類宅に保管されていた。堀越さんをモデルにしたスタジオジブリの新作映画「風立ちぬ」が7月に封切られるのに合わせ、藤岡市が設計図を公開する企画展を開く。 設計図は、藤岡市内の堀越さんの実家に残され、その後、近くの親類宅の蔵で保管されていた資料の中にあった。2005年2月、
【画像あり】海軍の雑用係だった曾祖父の軍隊生活を淡々と語っていく Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/02/20(月) 20:09:44.80 ID:JNypWjEk0 ばあちゃんの家で、曾祖父が生前出していた自伝をもらってきた 俺は曾祖父とは小さい頃1、2度しか会ったことがなくて これまでおぼろげにしか知らなかったことが、詳しく書いてあってなかなか面白かったんで 昔の資料と思って掲載画像を交えながら淡々と語っていく ちなみに俺は軍隊のことは言うほど詳しくないので、そこは悪しからず 5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/02/20(月) 20:11:23.72 ID:JNypWjEk0 さて、曾祖父は今に至るまで一族で唯一の職業軍人 親戚みんな身体が小さかったんで軍人に向かず、内心忸怩たる思いを抱いていたが、 海軍に行った先輩に
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