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Tatsuro Yamashitaに関するib700のブックマーク (6)

  • 山下達郎「クリスマス・イブ」がチャートイン最多年数でギネス世界記録認定

    「クリスマス・イブ」は1983年6月発売のアルバム「Melodies」からシングルカットされ、同年12月にオリコン週間シングルランキングに初めてランクイン。1986年には再度ランクインし、以降2015年までの30年間にわたり毎年トップ100以内のランクインを継続している。また1991年1月にはミリオンセールスを達成。1983年12月のリリースから現在までの累積売上枚数は約190万枚となった。 今年デビュー40周年のメモリアルイヤーを迎えた達郎。彼は今回のギネス認定を受け「何もかもが、ひとえに、この30年、どこかの時、どこかの場所で、レコードを手に取って下さった、リスナーの皆さまのおかげです。音楽を続けていて当によかったと思っています」とコメントしている。

    山下達郎「クリスマス・イブ」がチャートイン最多年数でギネス世界記録認定
  • 山下達郎「クリスマス・イブ」29年連続トップ100入り!|シネマトゥデイ

    偉業を達成した山下達郎 シンガー・ソングライターの山下達郎が歌うクリスマスの定番曲「クリスマス・イブ(30th ANNIVERSARY EDITION)」が、12月22日付のオリコン週間シングルランキング(集計期間:12月8日~14日)で29位を獲得(前週33位)。29年連続でトップ100入りを果たした。 1983年12月にアルバム「MELODIES」からシングルカットされた同曲は、1988年に深津絵里が出演するJR東海「X'MAS EXPRESS」のCMソングに起用され大ヒット。クリスマスのたびに売上を伸ばし、発売から8年後の1991年にはミリオンを突破。シングル発売以来の累積売上枚数は189万1,000枚を記録している。 そして、オリコンランキングの集計上、2015年扱いとなる22日付でトップ100入りを果たしたことで、前人未到の記録を更新。なお、同記録の歴代2位は10年連続(1989

    山下達郎「クリスマス・イブ」29年連続トップ100入り!|シネマトゥデイ
  • 山下達郎、相葉主演Xmasイブ映画の音楽監修

    × 1258 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 185 177 679 シェア この映画は、山下達郎「クリスマス・イブ」をモチーフにした中村航の小説「デビクロくんの恋と魔法」を犬童一心が監督となって映画化した作品。相葉雅紀(嵐)、榮倉奈々、ハン・ヒョジュ、生田斗真が演じる4人の恋する男女に、聖夜に奇跡が訪れるという内容で、オリジナルキャラクター“デビクロくん”の声は劇団ひとりが務める。 達郎が映画音楽を監修するのは、1984年公開の「BIG WAVE」以来30年ぶり。今回はクリスマスをテーマにした作品とあって、テーマ曲に自身の「クリスマス・イブ」、劇中曲に自ら選曲した洋楽クリスマスソングを6曲ピックアップした。さらに挿入歌として、「ケンタッキーフライドチキン」のクリスマスシーズンCMでおなじみの竹内まりや「すてきなホリデイ」

    山下達郎、相葉主演Xmasイブ映画の音楽監修
  • JFN「山下達郎サンデー・ソングブック」2012年3月11日放送『東日本大震災1周年追悼と復興祈念のプログラム』

    心に寄り添う 音楽とラジオの力を。 この日のこの時間が この番組でよかった。 黙祷。#sundaysongbook 番組冒頭のコメント 続きを読む

    JFN「山下達郎サンデー・ソングブック」2012年3月11日放送『東日本大震災1周年追悼と復興祈念のプログラム』
  • 「職人でいる覚悟」山下達郎が語る仕事-2 仕事力 asahi.com(朝日新聞社):就職・転職ニュース

    曲作りは苦しいが 妥協だけはしない 何のために音楽をやるのか、表現者としてどんな音楽活動をしていくのか。僕はそうした自分に対する問いかけを常にしてきました。功名のためとか、金もうけの手段として音楽を選んだわけではないがゆえに、自分の表現の必然性を自分なりに考えて生きてきたのです。 新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」。でもそれはうそです。自分の信じることを貫いてブレークスルーしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない。やりたくないことをやらされて売れたって意味がない。そういった音楽的信念、矜持(きょうじ)を保つ強さがないとプロミュージシャンは長くやっていけないのです。 自分の表現手段である音楽活動以外は、あれもやらない、これもやらないと、やらない尽くしのネガティブプロモーションが、結果的に僕には一番合っていたのだと

  • asahi.com(朝日新聞社):「職人でいる覚悟」  山下達郎が語る仕事-1

    僕たちの時代に 音楽の波が押し寄せる ポピュラーミュージックが一番というか、音楽文化の中心だった時代がありました。1950年代から60年代、70年代とそれが続くのですが、特に60年代は、ステレオやLPレコードの出現によって音質が革命的に進化したのです。そしてビートルズに代表されるロックンロールが流れ込んできた。 その時代に僕は小・中・高と一番多感な時代を過ごしたので、音楽が最も大事なものでしたね。レコードを聴くためには家に帰ってその場にいないとダメだから、音楽と対峙(たいじ)し集中する。するとそこに「ミクロコスモス」が出現するわけです(笑)。一人でそれと向き合っていると宇宙の果てまで連れて行ってもらえるような深い感動がありました。僕は浴びるように音楽を聴いていた子どもです。 中・高と6年間ブラスバンドにいて、ドラムとパーカッションだけは先生に習いましたが、それだけです。友人たちとバンドを

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