付随性(ふずいせい、スーパーヴィーニエンス、英: supervenience)は、哲学、その中でも特に心の哲学で使われる用語で、異なるレベルの特性の間に定義される強い依存関係のこと。 直観的に言えば、「AがBに付随する」とは「BがAを決定する」ことを意味する。 より厳密な定義は次のような形で与えられる。 『おこりうるどの二つの状況を考えても「特性2に関して異なりながら特性1は同一だ」ということがない』ならば、 特性2は特性1に付随している。 一般的な用法として、特性2として心的な性質(命題的態度やクオリアなど)を、そして特性1として脳の物理的な状態(ニューロンの状態、神経伝達物質の濃度など)を考え、心的な性質の物理的な状態に対する付随性を議論する事が多い。すなわち「心的な性質は脳の物理的な状態に完全に依存して生起している」という事を言いたいときに、「心的な性質は脳の物理状態に付随している、
読書ノート(ほとんど引用からなっています)以下は久しぶりにジジェクのラカン解釈を引用する。前ポストにも書いたが、にわかラカニアンにならないように、出来るだけ、私の見解を書かずにほとんど引用に終始してきたつもりだが、それでも「引用」をし続けると、ある種の誤解があるようなので、しばらく遠慮していた。だが、チェルノブイリをめぐって書かれている箇所が、今震災発生数日後からとても気になっていたので、敢えて。(『斜めから見る』2章<現実界>とその運命The Real and Its Vicissitudesの小節「自然は存在しない」"NATURE DOES NOT EXIST"(原著1991 和訳1995 一部行替え) ※なおpdf版(英語)は、ネット上で簡単に手に入れることが出来る(無料)。 ◆まず前段。 生態危機に関して、ラカン的アプローチはわれわれに何かを教えることができるのか。それはたんに、わ
田島正樹*1「暴力について」http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52138956.html 内田樹氏の「自分の正しさを雄弁に主張する知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性の方が、私は好きだ」という言説に対して、 しかし己れの愚かさを吟味することが、愚かな私にどうしてできるのだろうか? もしそれができるのなら、もはや私は、単に愚かではないことになろうし、自分の愚かさを吟味するだけで己れが愚かさを免れるようなものなら、皆たやすく愚かさを脱するであろうし、また愚かさを脱したと主張し合うだろう。かくて「自分の正しさを雄弁に主張する」ゲームは、一段高次化したゲーム、すなわち自分こそ「己れの愚かさを吟味することができる正しい知性だと雄弁に主張」しあうゲームになるだけである。たしかに哲学的思考は〈思考についての思考〉といった〈メタ次元〉を目指すもので
ポール・リクール 著 ジョージ・テイラー 編 川﨑惣一 訳 『イデオロギーとユートピア――社会的想像力をめぐる講義』 11.06.10 A5判504頁・定価 本体5600円+税 ISBN 978-4-7885-1235-1 6月1日配本 発売は6月3日 本書はポール・リクールのLectures on Ideology and Utopia, Ed. George H. Taylor, New York: Columbia University Press, 1986の翻訳である。翻訳にあたっては、内容の読解および翻訳の大胆さという点で、フランス語版(L'ideologie et l'utopie, Trad. Myriam Revault d'Allonnes et Joel Roman, Paris: Editions du Seuil, 1997)が参考になった。なお、副題は邦訳のオ
アルチュセール全哲学 (講談社学術文庫) 作者: 今村仁司出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/10/11メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 11回この商品を含むブログ (19件) を見る2007年の出版だが、97年に出版されたものの文庫版。 著者はこの本で、アルチュセールが20代の終わりに書いたヘーゲル論を重視し、後年の彼の思想のさまざまな意味での原型や原点を見出せると語っている。 重要なことのひとつは、ヘーゲルによるカント批判であり、それは後年のアルチュセールのイデオロギー論につながるものであろう。そういう視点を、今村のこの本は、われわれに提示してくれるのである。 本書によれば、アルチュセールがヘーゲルの中に見出した、カント及び啓蒙主義批判の要点は、「真空性」(「空虚性」)ということに関わっている。 ヘーゲルはこの真空性のなかに、真空を充実させ埋めようとする啓蒙的自己意識
目次:ダウンロード 序文のかわりに 小林康夫:ダウンロード 第一部 行為・知覚・自己――現代哲学の共生の構図 意図的行為は理由の空間に含まれるのか?――意図的行為における因果・表現・制御 原塑:ダウンロード 知覚の概念主義の行方 古田徹也:ダウンロード 門脇俊介とドレイファスはどこで分かれたか――ハイデガーと認知科学の対話を通して 吉田恵吾:ダウンロード 和辻哲郎の倫理学における「信頼の行為論」について――ハイデガーとの対比から見る日常性における共生のあり方をめぐって 飯嶋裕治:ダウンロード 徳と行為 文景楠:ダウンロード 汝自身であるものになれ――『存在と時間』における〈自己〉の習得 西山達也:ダウンロード 第二部 ケア・寛容・共生――共生の哲学の展開 看護行為の時間――西村ユミとハイデガー行為論の拡張 村上靖彦:ダウンロード それぞれに自分らしい寛容と共生――門脇俊介と多文化主義の哲学
1972年10月13日、ジャック・ラカンの講演より*1。 文字起こしは「Jacques Lacan à Louvain」を参照し、拙訳: La mort… est du domaine de la foi. 死は・・・信仰の領域に属する。 Vous avez bien raison de croire que vous allez mourir, bien sûr. 皆さんは、ご自分がもうすぐ死ぬことを知っています、当然ですね。 Ça vous soutient ! それがあなたを支えているのです! Si vous n’y croyez pas, est-ce que vous pourriez supporter la vie que vous avez ? もしそれを信じないとしたら、あなたは、自分の生を支えられるでしょうか。 Si on n’était pas solidement
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
年末から正月にかけて読んで、あまりの面白さにびっくりした本。 朱子伝 (平凡社ライブラリー) 作者: 三浦國雄出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2010/08/10メディア: 単行本(ソフトカバー) クリック: 27回この商品を含むブログ (4件) を見る 大思想家とされる朱子だが、この本では、気が短く直情径行で寛容さに欠けていたり、言行不一致であったり、またそうかと思うと心を許した弟子には見っともないほどに愛着や弱音を吐露してしまうなどといった、矛盾と欠点に満ちた「人間朱子」の姿、そうした性格上の欠点をよく自覚していながら、それを十分に克服することも出来ないまま死んでいった一人の男の姿が浮き彫りにされている。 著者の深い敬意と愛情を込めて描き出された、生身の朱子像と呼ぶべきものである。 朱子の性格について、彼をよく知る人は、たとえば次のように諌めていたという。 友人であり、思想上の好き
ぎりぎりになって新入生演習共通テキストの教材を書く。なぜぎりぎりになるかといえば、提出する相手が自分(教務委員)だから。これで共通テキストの編集作業は一応完了のはずなのだが、書式の統一などをやっているといつの間にか一日が終わっている。 課題例5 J・S・ミル『白由論』の最後の八つの段落(岩波文庫、1971、217頁6行目~229頁/中公世界の名著38、1969、340頁下段18行目~348頁)を読み、要約と論評を試みなさい(2400字以内)。 1.『白由論』の執筆目的――危害原理の提示 課題資料として挙げられているのは『白由論』の最後の部分で、そこでは政府が個々人の活動を積極的に手助けすることの問題性が論じられています。『白由論』が主に論じているのは政府が個々人の活動を制限することの問題性なので、この部分は、本論と直接関係のない傍論として片づけられることも少なくないのですが、非常に重要な内
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